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外からの
来襲に備えた
軍事施設の
研究─
それらの遺構を探る
画像はAIによるイメージです
TEAM members





KT
アツシ
Baron
ミイナ
よぐ
チーム調査報告


外からの来襲に備えた軍事施設研究チーム 大阪城🏯現地調査&第6回議事録
こんにちは サブファシリテーターのアツシです 大阪城周辺は調査してましたが、 今回は大阪城内へ入りました 天守閣前には青銅製の大砲があります 空砲を時報として使用していた時期もあったそうです 城内のパネル展示です 天守閣から見た大阪の町です 大阪城の隣りにある豊臣石垣館へ行きました 現在の大阪城の地下7メートルには、大坂夏の陣で落城した当時の豊臣時代の石垣があります 豊臣時代は転用石も多く、大きさがバラバラの石が乱雑に積まれています 実際に見ると石積みの技術発達初期であることがよくわかります 第6回 オンラインミーティング議事録 オンラインミーティングでは 現時点の進捗を確認しました 先生方からは 石垣の比較や小豆島の自治体記録の確認といった 具体的な助言をいただきました 今後の活動に繋げていきたいです

軍事施設チーム
5 日前


【第4・5回目議事録】外からの来週に備えた軍事施設の研究チーム
チームリーダーのKTです。7月、8月の3週目に行われたチームミーティングを行いました。 チームの大きな方向として、”大阪城の石垣について”また”戦時徴用船”について関心がありそれぞれの研究の進め方について先生から助言をいただきました。 大阪城の石垣では、吉崎先生が瀬戸の島から意思を運ぶ際の資料を作成しており後日いただくことにつながりました。 戦時徴用船については、メンバーのよぐさんが論文を書いていたり、先日学会誌に投稿されており、力強い存在です。 ブログにも先月から定期的にアップされいるように成果としてメンバーのバロンさんが研究成果をアップロードしてくださっておりとても頼もしい限りです。 私は現在大学で卒論を書いており、瀬戸内海で起きたある事故を切り口に瀬戸の海が日本の領土として瀬戸内海と内外に認められるようになった経緯について研究をしております。 歴史というのは、過去の出来事そのものではなく、後から出来事が選択され、接続され、意味を与えられることで構成されるものであると感じました。 事故や外部との衝突がおきたこと。それを処理したロジック。後世で

軍事施設チーム
9月2日


外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る 調査成果 そのⅣ
海外からの脅威 第4波 欧米ロからの圧力に対する防衛 明治編 4.資料提示 淡路島 由良周辺 参考文献 角田誠 2009「Ⅰ . 由良地区の砲台・堡塁」『由良要塞跡Ⅰ~大阪湾防禦の近代築城 遺跡~』近代築城遺跡研究会 兵庫県教育委員会 2013『兵庫県の台場・砲台』 由良地区周辺分布図 (角田 2009) 成山砲台 ここは近世由良城が築かれていた場所で、城跡の主要部分は砲座築造の際にその遺構も大部分消滅した。 成山第1砲台 第1砲台には、克式35 口径12 糎加農砲6門、克式35 口径15 糎加農砲2門が配備され ていた。竣工後に第一、第二砲台において、砲廠・弾廠・繋船場・弾丸本庫等を増築して いる。戦後米軍の命令により爆破されており、更に国民宿舎成山荘が建てられた関係で、遺構の殆どは破壊を受けており詳細は不明である。 成山第2砲台 第二砲台には28 糎権弾砲2門と制式12 糎加農砲2門が配備されていた。砲座及び横堵は残存しているが、戦後米軍の命令により爆破されている。破壊を受けた東側28 榴弾砲座の砲側庫内は半分以上土で埋まっており、立入が困

軍事施設チーム
8月22日


外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る 調査成果 そのⅣ
海外からの脅威 第4波 欧米ロからの圧力に対する防衛 明治編 5.資料提示 和歌山市周辺 参考文献 角田誠 2009「Ⅲ . 深山地区の砲台・堡塁」『由良要塞跡Ⅰ~大阪湾防禦の近代築城 遺跡~』近代築城遺跡研究会 角田誠 2010「Ⅳ . 加太地区の砲台・堡塁」『由良要塞跡Ⅱ~紀淡海峡の近代築城遺跡~』近代築城遺跡研究会 和歌山県教育委員会 2025 『和歌山県近代の文化遺産章再調査報告書Ⅰ』和歌山県教育委員会 深山・加太地区軍事施設分布図 (和歌山県教育委員会 2025) 深山砲台 深山第1砲台 第1砲台は、28cmの榴弾砲で、2門1組の砲座が3組、総レンガ造りで東西に並び、砲座間の連絡は砲座後方のに設けられた隧道によっている。(角田誠 2009) 深山第1砲台 和歌山県教育委員会 2025 『和歌山県近代の文化遺産章再調査報告書Ⅰ』和歌山県教育委員会 深山第1砲台 (角田誠 2009) 深山第2砲台 第2砲台は、28cmの榴弾砲で、2門1組の砲座が3組、

軍事施設チーム
8月21日


外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る 調査成果 そのⅢ
海外からの脅威 第3波 欧米ロからの圧力に対する防衛 幕末編 3.資料提示 神戸市・西宮市編 神戸市 舞子台場 舞子台場は現在の海岸護岸の石垣が築造当時のままのものであり、台場の石垣も良好な状態を保っている。東西70m、幅6~10mで石垣が巡っている。 上層部には全面に砲門15ヵ所や背面には出入り口となるアーチ状の門が5~7あったようで、築造当時の高さは海岸から約10mあったと推測される。 舞子台場位置図(国土地理院) 舞子台場全景 (兵庫県教育委員会 2013『兵庫県の台場・砲台』) 舞子台場東端背面石垣 (兵庫県教育委員会 2013『兵庫県の台場・砲台』) 舞子台場平面図 神戸市教育委員会 2006 『』舞子砲台跡第1~4次 発掘調査報告書 舞子台場 「神戸市立中央図書館蔵 『明治初期神戸付近写真帖』」 和田岬砲台 和田岬砲台は勝安房の命により佐藤与之助が設計し、地元の嘉納次郞作が請け負って造ら

軍事施設チーム
8月10日
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