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幕末における海戦
の研究─
阿波沖海戦など
画像はAIによるイメージです
TEAM members





バタやん
ヒロ
ひらぱー
マツ
準備中
チーム調査報告


【幕末の海戦】阿波水軍・森甚五兵衛家現当主インタビュー - 「翔凰丸の伝承は、ありません」から始まった一日
【今回の取材概要】 - 日時:2026年8月1日(土) - 場所:ふらんせ 蔵(徳島県徳島市) - 参加者:森様(森甚五兵衛家 現当主)、向井様(阿南市役所 文化財担当係長)、マツ、バタやん、森、ひらぱー --- こんにちは、ひらぱーです。 さて今回は、私たちの調査にとってかなり大きな一日になりました。 阿波水軍・森甚五兵衛家の現当主に、直接お話を伺うことができたのです。 --- ●そもそも「森甚五兵衛」って誰? STUDIO SOL様ご提供(https://www.bgf.or.jp/bgmanga/viewer.php?id=272&dir=227&lay=single) 森甚五兵衛は、個人の名前ではありません。 阿波水軍を率いた森家の当主が、代々受け継いできた名前(襲名)です。 歌舞伎の「◯代目◯◯」に近いイメージですね。 森家のはじまりは因幡国と言われており、京都で阿波の守護・細川氏と縁ができ、その阿波出兵に従って四国へ渡ってきた家系だと伝わります。 戦国期は鳴門の土佐泊を拠点に、細川氏・三好氏のもとで海を押さえ、蜂須賀家が阿波に入って

幕末の海戦チーム
6 日前


外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る 調査成果 そのⅢ
海外からの脅威 第3波 欧米ロからの圧力に対する防衛 幕末編 4.資料提示 大阪府編 梶原台場 梶原台場は1863年に着工市、一時工事の延期を経て、1865年には完成している。 台場は大きく2つの区画で構成され、南側の土塁と堀の規模が大きい。規模は南北200×300mに復元される。南の郭は弾薬庫と2ヵ所の虎口があり、北の郭とは直接連絡せず内ヶ池と街道を射程に収める稜堡を備えた。北の郭には西国街道を引き込み番所をもうけた。 梶原台場位置図 梶原台場 明治43年 地図 梶原台場神内炮台図(摂州島上郡万所山塁壁關門 野堡之図) 梶原台場概念図 中西裕樹2009 「梶原台場の歴史と構造」『ヒストリア』217 梶原台場神内炮台図(摂州島上郡万所山塁壁關門 野堡之図) 高槻市街にぎわい部文化財課 2026 『梶原台場跡発掘調査 現地説明会資料』高槻市街にぎわい部文化財課 梶原台場発掘地区平面図

軍事施設チーム
7 日前


【幕末の海戦】セレンディピティ~堤防の成り立ちを調べに日帰りプチ現地調査~
現地人、森です。 最近、Podcastで「水中文化遺産ラジオ」というものを聞くのが、私の中で流行っています。 その中で中田先生が、セレンディピティについて語っておられました。 セレンディピティ 「何かを探しているときに、探していたものとは別の価値があるものを偶然発見すること」 ある宣教師がカンボジアに行ったときに、腰を下ろしたらそこに石像があった。 これが後のアンコールワットである、と。 見つけようと思って見つけてない。そんな中で発見がある。 それがセレンディピティだ。と。 サイエンス分野では、一番有名なのはペニシリンの発見じゃないでしょうか。 宇宙マイクロ波背景放射とか、白川先生のプラスチックとかもそうだろう。 全然、関係ないようなことでも、 深い洞察眼をもって過ごしていれば、 見えないものも見えることもある。 このセレンディピティの事例を胸に抱えて、 バタやんがどうしても「堤防の成り立ちが知りたい!」っていうから、 わざわざ仕事を休んで、 マツさんと二人で調べに行ってきました。 由岐漁港の管理台帳を調査 まず阿波沖海戦の会場となった由岐町の上

幕末の海戦チーム
7月25日


【幕末の海戦】第4回定例MT:チームの「土台」を整えた回
【概要】 ●日時:2026年7月6日(月)21時~22時 ●場所:Google meetによるオンラインMTG ●参加者:ランディ先生、森、マツ、バタやん、スピカ、ひらぱー 今回のテーマは「土台づくり」 こんにちは、ひらぱーです。 さて、今回のMTには「新事実が判明!」といった派手な報告はありません。 事務的な内容ではありますが、議論の場が散らかっていないか・記録がちゃんと残る場所にあるか・書いた記事が滞りなく世に出せるか。 今回はチーム運営や運用に焦点を当てた回でした。 ①ブログについて: ブログの仕様が変わったため、合わせてチームでの運用ルールも変わりました。 【これまで】 市民メンバーが投稿 → 事務局がチェック → 公開 【これから】 記事をチームに共有 → 市民メンバー2名以上+ランディ先生のOK → 投稿 事務局チェックがなくなった分、私たち市民チーム自身が記事の品質に責任を持つかたちになりました。 一方で、LINEでの共有だと記事が埋もれてしまいかねない。実務的には「レビューしてくれる人がなかなか捕まらず、記事が出せない」という

幕末の海戦チーム
7月19日


【幕末の海戦チーム】ランディ先生と現地調査part3:日和佐地区散策(最終日編)
森さんから引き継ぎ、続きはバタやんからご報告させて頂きます😊 現地調査の最終日の朝。 少しバタバタしましたが、なんとか先方様との集合場所:道の駅日和佐にみんな集合しました🚗 阿南のホテルを出た時は晴天だったのに、由岐に向かうトンネルを抜けたら突然の大雨😱 それからも降ったり止んだりと、不思議な天気です☀️☔️ 雨の中、人数分の置傘を求めて走っていく男子2人。 ありがとうございます〜💦 でもだいたいこういうのって、傘の準備ができたら雨が上がるんですよね…😅 さて位置関係ですが、翔凰丸(薩摩藩)座礁地点の由岐港から南東に約13km行ったところに日和佐御陣屋跡があります。 Googleマップより 「阿波沖海戦」(泉由幸:著)によると、慶応4年1月4日の夜に、この道を約30人の翔凰丸乗組員が、米田配下(阿波藩)の案内人と共に歩いて御陣屋まで向かったそうです。 御陣屋到着は23時前後とのこと。 20時頃に、由岐を出発したのかなぁ…🤫 当時の道の状況や、薩摩人の健脚具合、早朝の神戸港出港からの疲れ具合などなど。 不確定要素はたくさんありますが、か

幕末の海戦チーム
7月15日
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