外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る 調査成果 そのⅢ
- 軍事施設チーム

- 2 日前
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海外からの脅威 第3波 欧米ロからの圧力に対する防衛 幕末編
4.資料提示 大阪府編
梶原台場
梶原台場は1863年に着工市、一時工事の延期を経て、1865年には完成している。
台場は大きく2つの区画で構成され、南側の土塁と堀の規模が大きい。規模は南北200×300mに復元される。南の郭は弾薬庫と2ヵ所の虎口があり、北の郭とは直接連絡せず内ヶ池と街道を射程に収める稜堡を備えた。北の郭には西国街道を引き込み番所をもうけた。











楠葉台場
楠葉台場は、梶原台場と同じく1864年着工、1865年完成。規模は、南北300×東西200mであり、南側の虎口周辺の構造は五稜郭に近い。東側の郭には北隅を弾薬庫としている。
西側の郭には番所をもうけ稜堡が2ヵ所あり、ともに先端は砲台となる。

















布屋新田台場
布屋新田台場は、1861年築造と考えられている。岡山藩による築造で、15拇砲を6門配備したことに始まる。




天保山台場
1864年安治川口への台場築造に着手、1865年には完成していたと思われる。稜堡が南に面する形で突き出ており、大火薬庫2ヵ所、火薬庫19ヵ所が設置された。砲門は正確な数はわかっていない。





北島新田砲台
北島新田砲台は西側先端部近くに砲台と観測所が設けられていた。





堺台場





堺北台場
堺北台場は、1855年完成、海岸線と長辺が平行するコの字型に土塁を巡らすのみであった。後に方形に改修されている。土塁上には海に面した西側と南側に砲台を2基ずつ設置し、東側には虎口と虎口正面には遮蔽用の土手を設けている。



堺南台場
堺南台場は長方形に土塁を巡らし。土手上には西側に5基、北側に2基の砲台を備え、北側に虎口と虎口正面に土手を設けていた。後の改修により長方形から稜堡を設けた多角形になり、北側と南側には外堀が新たに掘削された。北側と西側の土塁は一段高く、土塁上には砲台を備え、砲台野下には火薬庫、火薬庫の前には土手を設けた。東側には2ヵ所の虎口を設け、虎口の横には番所を設置していた。


現状の公園の平面図に「堺浦海岸砲台築造図絵(写)」を重ね現況に沿うように修正したのが青線である。色違いの青線は虎口を表しているが、南側の虎口の位置は現状とも一致する。「仮製図 1/20000 堺 1884年測図」によれば、西半は何も描かれておらず、すでに失われていたかのようにみれる。
しかし、「旧1万地形図 堺西部 1921年測図・1923発行」に地図には西半にも土塁や石垣の残存を示す描写が求められる。その部分をスケールを合わせて記載したのが赤の破線である。
現状で図に示した地点で石垣にわずかな屈折が認められる。屈折点より南側は「旧1万地形図 堺西部 1921年測図・1923発行」の地図の記載にそうもので、北側は一致しない。
黄色の破線は新しいのかもしれないが、土塁に平行して積まれた石垣の位置を示したものである。















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