外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る 調査成果 そのⅢ-3
- 軍事施設チーム

- 10 時間前
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欧米ロからの圧力に対する防衛 幕末編 海外からの脅威 第3波
神戸市・西宮市編
神戸市
舞子台場
舞子台場は現在の海岸護岸の石垣が築造当時のままのものであり、台場の石垣も良好な状態を保っている。東西70m、幅6~10mで石垣が巡っている。
上層部には全面に砲門15ヵ所や背面には出入り口となるアーチ状の門が5~7あったようで、築造当時の高さは海岸から約10mあったと推測される。





和田岬砲台
和田岬砲台は勝安房の命により佐藤与之助が設計し、地元の嘉納次郞作が請け負って造られた。1863年に着工し1864年に完成している。周囲の星形の土塁が完成するのは、1866年であった。石堡塔の規模は、裾部分で直径約15m、高さ11.5mを図る。後世の改変により石堡塔のみ現存する。






湊川崎台場
湊川崎台場は、旧湊川の河口付近の右岸に築かれた。石堡塔を中心に外郭部分が造られたが、和田岬砲台の様な星型ではなく円形であった。入口は1ヵ所で、門と石堡塔の間に目隠しの横塘を置く。砲台は1864年に完成しているが後に屋根等の改変が加えられている。





西宮砲台 1863年着工、1866年完成
西宮砲台は直径約16mの石堡塔の周囲を直径約77mの外郭が取り囲む。
北に木製扉を持つ出入り口がもうけられた。外郭の北側にも横塘一対を備える幅3間の出入り口が開いていた。外郭無い出入口正面には障壁状の短い土手が築かれていた。
1884年測量の地図にはその位置の記載があり、1948年の航空写真では、石堡塔と其れを取り囲む外郭が明確に撮されている。











今津砲台
今津砲台は早くに消滅しているため、資料的な制約が多い。中央に石堡塔を備え、周囲に円形外郭を配する構造は湊川崎・西宮台場と同じだが、1874年の実測図からみて一回り小ぶりであったと考えられる。
なお、1884年測量の地図には、西宮砲台と同じ円でその位置が示されておいる。









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