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【幕末の海戦チーム】ランディ先生と現地調査part3:日和佐地区散策(最終日編)

森さんから引き継ぎ、続きはバタやんからご報告させて頂きます😊




現地調査の最終日の朝。


少しバタバタしましたが、なんとか先方様との集合場所:道の駅日和佐にみんな集合しました🚗


阿南のホテルを出た時は晴天だったのに、由岐に向かうトンネルを抜けたら突然の大雨😱


それからも降ったり止んだりと、不思議な天気です☀️☔️



雨の中、人数分の置傘を求めて走っていく男子2人。


ありがとうございます〜💦


でもだいたいこういうのって、傘の準備ができたら雨が上がるんですよね…😅



さて位置関係ですが、翔凰丸(薩摩藩)座礁地点の由岐港から南東に約13km行ったところに日和佐御陣屋跡があります。

Googleマップより


「阿波沖海戦」(泉由幸:著)によると、慶応4年1月4日の夜に、この道を約30人の翔凰丸乗組員が、米田配下(阿波藩)の案内人と共に歩いて御陣屋まで向かったそうです。


御陣屋到着は23時前後とのこと。




20時頃に、由岐を出発したのかなぁ…🤫


当時の道の状況や、薩摩人の健脚具合、早朝の神戸港出港からの疲れ具合などなど。


不確定要素はたくさんありますが、かなりの苦行だったのでは…💧




とはいえ、由岐にいた阿波藩の役人米田甚八には、おそらくまだ戊辰戦争の詳細情報は届いていなかったと思われます。

しかも幕府の軍艦開陽丸が、いつ引き返してくるかもわからない中、不用意に薩摩勢を匿うのは命取り😱

ゆっくり休んで…なんて、言ってられない状況…💦




翔凰丸の薩摩側と阿波藩役人の米田甚八がこのピリピリする会談を行ったのが、座礁地点の由岐町にある光願寺というお寺です。↓


当時米田甚八は、25才。

ちょっと、シゴデキすぎません…?😅





薩摩勢は、1月4日の23時頃に日和佐の御陣屋に到着するもそこからは船は出されず、さらにそのまま南東に4時間強歩かされて、5日早朝、牟岐港からようやく土佐の甲ノ浦(かんのうら)へ船で向かったようです。



(甲ノ浦で出迎えた土佐藩の話はまた後日…🤭)




日和佐御陣屋跡は、今は美波町役場になっていました。


この後、日和佐図書資料館を見学させて頂き、日和佐公民館にて小打合せを行ったあと、段階的に解散✨



お約束通り雨も上がり😅、第一回目の現地調査は無事終了しました😌

 
 
 

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