【幕末の海戦・番外編】土佐の重要拠点"甲浦(かんのうら)"に行ってみた。
こんにちは!バタやんです🤗
いやぁ〜、秋🍂ですね!
暑くもなく、寒くもなく、格好のドライブ日和!
というわけで、田野畑から帰ってきてからというもの馬車馬のように働かされていたので、久々の休みにリフレッシュがてら高知の甲浦(かんのうら)までドライブしてきました😄
そう、甲浦。
由岐に上陸した薩摩藩士たちが目指した港です。⚓️
場所はココ↓

(Googleマップより)
あまり深く考えずに出発したら、松山から意外と遠い…😅
でも海戦のあった由岐からは一番近い高知県の港。
実は甲浦、港としての歴史は古く、紀貫之の「土佐日記」にも出てくるようです。
そしてどうやら江戸時代には参勤交代の港として栄えていたらしく、山内一豊もここから土佐入りしたとか。
へ〜✨
そりゃ、目指しますよね、甲浦👀
今で言うところの、一番近い、安全地帯にある巨大な国際空港ですもんね😅
甲浦の番所「甲浦東股番所」跡に行ってみました。

(一部Googleマップより)
入江の一番奥にありました。そこからの景色が画像の下の部分。
今でこそ橋がかかってますが、当時は何もなかったはず。(ここは想像で😌)
入江奥には、当時の面影が残る家々が…

ここに翔鳳丸乗組員が船で到着したのは、慶応4年1月5日未明。
ひらぱーさんが見つけてくれた「伊賀家日記」によると、先着組と後着組がいたようです🤔
そしてなんと、後着組は由岐(阿波)で現地住民に偽装して、幕府軍の捜索を免れてから脱出した可能性が…🫢
VIVANT並のドキドキ。
薩摩藩士たちは、甲浦で1週間ほど滞在してから、海路で土佐の須崎に向かったようです⚓️
今回の海戦には関係ないのですが、この地域と、徳島の海部郡に伝わる独特の建築様式がありました🤩
「ぶっちょう造り」というそうです。
ウワミセ・シタミセと呼ばれる板戸をうまくトランスフォームする造りの事で、

日中、ウワミセは庇にひっかけて日除け・雨除けに。シタミセは縁台に。
そして両方閉じれば雨戸になるというスグレモノ。
機能的ですね〜✨
縁台は、みなさん現役で使われてました。

白でペイントされたぶっちょう造り、可愛いですね❤️
帰りは高知発祥のチェーン店「豚太郎」で晩ご飯。
実はこの豚太郎、愛媛ではおでんのあるラーメン屋さんで有名なのですが、高知ではカツが入ってるんです😄
でも一番不思議だったのが、餃子定食が850円なのに、明らかにそれよりも原価が安いであろう"モヤシ炒め定食"が1000円だったこと…

もしかして、超高級モヤシ……
バタやん





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