【交流&ミニシンポジウム編】幕末の海戦がつなぐ田野畑と阿波〜夜の語らいから生まれる絆、そして合同シンポジウムへ〜part3
こんにちは。森です。現地での史跡巡りや「さっぱ船」での現地調査を終え、今回は夜の交流会、そして翌日に開催された合同ミニシンポジウムの模様をお届けします。
東大チームとの交流と夜の語らい
机地区での現地調査を終えたあとは、東京大学チームの皆さんと合同の交流会が開かれました。
調査の振り返りをはじめ、それぞれの研究への情熱や目指すべき課題解決のあり方について熱く、そしてざっくばらんに語り合いました。
地元の関係者方や東大教員の方々との温かい談笑は尽きず、立場を越えた交流は盛り上がり、チーム双方のつながりがより一層深まる素晴らしい夜となりました。
「なぜこのプロジェクトに参加したのか??」
交流の中で、東大の教員の方から我々市民に対して「なぜこのプロジェクトに参加したのか??」「時間も労力もかかるのに、なぜ?」という質問がありました。
あるメンバーは「暇だったから」、あるメンバーは「普段やってることとあまり変わらないから」など、緩い問答を交えながらざっくばらんに語り合いました。
個人的には、我々市民ボランティアにとってはなかなか無い貴重な体験ができるプロジェクトですし、仕事のように成果を出さなければならないプレッシャーなどは皆無の中で、何かしらの形になることが確定しているため、大変気楽に取り組むことができる「とても都合のいいプロジェクト」だと感じています。
一方で、東大教員の方は「ある意味、やりがい搾取ともいえると思う」とおっしゃっており、「それは確かにそうだな」と納得させられる場面もありました。
歴史好きの漫画家・あねがわさん
岩手で漫画を描いてらっしゃる歴史好き・幕末好きのあねがわさんとも杯を交わし、「萩」という町について熱く語り合いました!
私も萩という町が大好きで、あの萩にしかないあの空間は、何度訪れても色褪せない掛け替えのないものを感じます。
X(旧Twitter)で歴史への愛が詰まった素敵な漫画をポストされているので、ぜひご覧になってみてください!@anegawa1570
田野畑村と徳島県(鳴門)を結ぶ「90年前の絆」
そして徳島の人間としては、特筆せずにはいられない話も伺いました。
岩手県田野畑村と徳島県鳴門との意外なつながりがった、歴史の話です。
昭和8年(1933年)の昭和三陸津波で田野畑村のわかめ工場が壊滅した際、遠く離れた徳島県鳴門の業者が加工技術の指導に駆けつけたそうです。
企業秘密の提供は同業者から非難されかねない中、「他人の不幸を救うのは人の道」と風評を跳ね除けて支援に尽力されたとのこと。
田野畑村の方は口をそろえて、話してくださいました。
150年前の歴史で繋がった徳島と田野畑村。と思いきや、まさか90年前にも築かれた尊い絆があったとは。
忘れ去られかねない現代、100年後にも語り継いでいきたいと思いました。
鳴門わかめのことが書かれた「広報たのはた」の記事の掲載許可を、田野畑村役場より特別にいただきましたので、ご紹介させていただきます。

※記事中の「鳴門わかめ加工場記念碑」ですが、残念ながら東日本大震災の津波で流失し現存していないとのことです。
とても熱い時間でした。
これらは私目線の懇親会の歓談の一部です。メンバーそれぞれ、違うエピソードがあることでしょう。
幕末の海戦がつなぐ 田野畑と阿波(ミニシンポジウム)
翌日には、田野畑村でミニシンポジウムが開催されました。

会場は「ホテル羅賀荘」。
田野畑の人は皆ここで結婚式を執り行うという伝統あるホテルだそうで、今回の会場も大変、絢爛な様相でした。

シンポジウムでは、まず中田先生が「田野畑と阿波沖をつなぐ美しい物語」についてお話しされ、続いて阿波沖チームが発表。そして最後に吉村先生から「軍艦・高雄の調査」について発表がありました。


阿波沖チームの発表ターンでは、メンバーのバタやんが前に出て堂々と喋ってくれましたが、実は本番15分前に急遽打ち合わせをして決めたものでした(合掌!)。
テレビ岩手での放送
当日の様子はテレビ岩手でもニュースとして放送されています。ぜひこちらの映像もあわせてご覧ください!





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