【幕末の海戦】徳島県由岐の「翔鳳丸」と、岩手県田野畑村の「高雄」を通じた交流part1
こんにちは。森です。
我々「阿波沖海戦チーム」は、神戸大学の海洋文化遺産プロジェクトのもとで、幕末に徳島沖で起こった「阿波沖海戦」に関する歴史調査や研究を行っています。
今回はプロジェクトの枠を超え、同じく幕末の重要な海戦である「宮古湾海戦」を調査・研究している東京大学の研究チームの皆さんとの交流・合同調査のため、岩手県の宮古市および田野畑村を訪れました。

岩手県宮古市へ!東大チームと合流して幕末の海戦の史跡巡り
初日は東京大学の吉村先生に案内され、宮古湾海戦にまつわる遺跡を巡りました。まずは浄土ヶ浜にある「宮古港海戦記念碑」のもとへ。
阿波沖海戦から約1年後に起こった海戦であり、わずか30分の激闘について記されています。

また、ここで吉村先生から、
「こういう石碑を見るときは、裏面も見てください」
というアドバイスをいただきました。石碑を建てた人物や団体の情報が分かることが多く、石碑を頼りに調査を進める際の重要な足がかりになるとのことです。

その後少し移動し、宮古湾海戦が繰り広げられた宮古湾が一望できる高台へ。「まさにこの眼下で、あの海戦があったのか」と感慨深く見下ろしました。

下に降りてからは、宮古湾を抱きかかえるように横たわる「重茂(おもえ)半島」を眺めながら現地での情景に思いを馳せました。

海戦が起こった際、薩摩藩側はこの重茂半島をぐるっと回って進入してきたことになります。港に停泊していた幕府側は、半島を回って刻一刻と近づいてくる薩摩藩の艦艇をどのような心地で見つめていたのだろうか——そんな議論を交わしました。

田野畑村での「さっぱ船」体験と、波間に消えた鉄板の記憶
午後からは、旧幕府軍の軍艦「高雄」が座礁・自沈した歴史を持つ田野畑村へと足を延ばしました。田野畑村に到着してすぐ、地元の伝統的な小型船「さっぱ船」に乗船。
目指すは、かつて軍艦「高雄」が座礁したとされる「イシ浜」周辺です。

「イシ浜」と呼ばれる小さな浜は、軍艦「高雄」の乗組員たちが上陸を果たした場所とされています。
その近くの海底で、かつて軍艦の残骸を目撃したことがあるという地域の方から、船の上で貴重なお話を伺うことができました。
「高雄を見たことがある」方のお話
約60年前(ご本人が20代の頃)の目撃記憶お話を伺った方が20代だった今から約60年前、石浜のすぐ近くの海面に、30〜40cmほどの鉄板が突き出ているのを目撃されたそうです。
親の代から語り継がれる歴史お父様からも「あのあたりには軍艦が沈んでいる」と伝え聞いていたとのこと。他の人はそこまで聞いていないだろうし、聞いていても特に気にしていないのではないか、とおっしゃっていました。
その後の経過初めて確認した20代の頃から10〜15年ほどの間は見ることができていたそうです。しかしそれ以降は、いつの間にか目視では確認できなくなってしまったとのことでした。
今のところ徳島の由岐では、布島さんの「翔鳳丸を燃やしたと聞いた」という話以外には地域に伝わる口承を拾い上げられていません。今回の事例のように、現場で足を使って地域の記憶を丁寧に拾い上げていくことの大切さを実感しました。
次回
この後は、「高雄」の乗組員の方々が定住したとされる机(つくえ)地区へ向かい、地元の方々からさらに詳しいお話を伺いました。
熱の入った記事に仕上がっていますので、ぜひ次の記事もご覧ください!





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