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【福岡チーム】継体天皇は福井の石をつかわずにわざわざ宇土半島から...(ボツネタ)

takaから選考もれの福岡チームのボツネタをご紹介します!


三種の神器の剣はどこに沈んだのか探してみよう。

源平合戦のとき天皇の管理していたものは安徳天皇とともに持ち出され,壇の浦で失われたものがある。すなわち鏡と勾玉は回収したことになっているが,剣は方々探したが見つからなかった。日本中の海女さんを呼んで探したという話しすら残っている。見つからなかったためそのため再度,形代をつくって皇室に献上しそれが皇居「剣璽の間」で管理している。天皇すらみることはできないとされている剣であるが,どんな剣だったかについては江戸時代に保管するの箱をつくりかえるときみた人の記録が残っている。大きさや重さは推測できる。具体的には「塩尻」という本に

・2尺7,8寸 (84センチ)

・白っぽい←白銅?

・刃先は菖蒲の葉に似ており、剣の中ほどは盛り上がっていて元から6寸(およそ18センチメートル)ほどは節立って魚の脊骨のよう

など記録がある。


戦いは当初平家が優勢であったが海流の変化により源氏が優勢になったなど記録もあるそうだ。関門海峡の当時の海流や時間などを調べ推定した重さの箱を海に沈めてGPSで追ってどのあたりに沈むのか調査できないだろうか。さらに関門は重要な海路で浚渫しており,その浚渫した土砂で北九州空港という海上空港を造ったりしていることから,どのくらいの期間でどのくらいの土砂が堆積するのかなどのデータもありそうだ。現在の知見でどの程度迫れるのか面白そうだと考えました。

さらに,関連して,もし海中などから見つかった場合,すでに新たな形代が皇居に存在するとはいえ,その物(草薙の剣の形代)は皇室に属するのか,単なる考古物として扱ってよいのものかなど調査検討もよいのではないかと思いました。

もっとも,テーマそのものに危険な香りがしたのか,先行研究があるのか未調査のままボツになりました。

② なぜ継体天皇はゆかりの「ふくいブルー」ではなく「阿蘇ピンク石」を選んだのか?

「古墳時代」と呼ばれる時代。なぜか,古墳作りにとりつかれたかのようにつくった時代

大王の1世代せいぜい10~20年とおもわれるのに,最盛期は20年以上かかるのではないかという巨大古墳をおそらく平行して造っていた不思議な時代をおえると,今度は一家に一基なのかとおもえるほどたくさん古墳を造った時代がありました。

その丁度境あたりで巨大古墳をそろそろやめようかという時代に幼少期を福井県あたりで過ごして老年に天皇になったとされる継体天皇がいました。この天皇は実在した天皇と思われます。その天皇の陵は高槻市の今城塚古墳であるという考えはほぼ定説化しています。この古墳から石棺石材として3つの産地の石材がみつかっています。

石棺は,加工が必要なため,だいたい凝灰岩を使用します。当時の畿内では播磨の竜山石、奈良大阪の二上山の凝灰岩はよく使われるもので今城塚からでてくるのは不思議ではないもののなぜか阿蘇山の凝灰岩を熊本県の宇土半島あたりから運ぶという壮大なことをしています。


ところで継体天皇は前記のように福井県が勢力がありました。そして福井でも継体天皇と凝灰岩は密接な繋がりがあります。すなわち,福井市足羽山(あすわやま)に笏谷石(しゃくだにいし)という凝灰岩の産地があり,そこに採石業を授けたのは継体天皇だという言い伝えがあります。実際古墳時代から採石はおこなわれていたとのことです。笏谷石は現在も濡れると青が目立つ石材であり「ふくいブルー」として高級工芸品などに使われています。

ところが,今城塚古墳からふくいブルーはみつかっていないそうです。しかし,阿蘇ピンクは見つかっているのです。今城塚の資料館は阿蘇ピンクの棺に納まった継体天皇が展示されています。


距離をいえば福井から大阪高槻はそこそこ近い(Googleで陸路178キロ)

熊本宇土から大阪高槻は遠い(おそらく海路で約900キロ)。しかも宇土はヤマトの支配圏だったのかといえばその時代に磐井の乱があるように支配圏ともいいがたいかもしれません。

にもかかわらず, 継体天皇は福井の石をつかわずにわざわざ宇土半島から外洋を出て瀬戸内海から淀川を遡って阿蘇の石を石室石材として使ったのか?というテーマを考えてみました。


そして私の仮説として

陸路178キロより瀬戸内海路で約900キロの方が優る(コスト・日数等)という検証ができないか,一見不合理にみえても海路の方が合理的だった可能性はないかというものです。

この着想は記紀をみても古代にやたら軍隊を派遣したり,戦争をしたり,また朝鮮半島に倭人の痕跡があるため我々が思うより海路は古代人にはやさしいルートだったのではないかという疑問からです。


  これは先行する関連研究として,新聞社が多額の費用をかけて実験をするということがありました。ずいぶん前の話しなので現代の視点からその再検証をするとともにふくいブルーを運ぶときのルートや海路(琵琶湖)などでコスト計算をしてみるのも面白いと思いました。

瀬戸内海の海運にかかわるものとして面白いと個人的には思っていますがテーマがマイナーすぎたのか,受けがよくありませんでした。


(福井の足羽山山頂にそびえる継体天皇像。笏谷石製。実は大きな山頂古墳を破壊している)

福井の足羽山山頂にそびえる継体天皇像

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