外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る 調査成果 そのⅠ
- 軍事施設チーム

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白村江敗北後の防御 海外からの脅威 第1波
新羅との戦いに敗れ、新羅からの侵略の可能性に対応するために様々な施設が築かれた。
日本書紀の記載
六六四年(天智三)筑紫に大堤を築きて水を貯えしむ。名づけて水城(みずき)という。(日本書紀)
六六五年(天智四)八月 達率憶礼福留(おくらいふくる)・達率四比福夫(しひふくぶ)を筑紫国に遣わして大野(おおの)城を築かしむ。(日本書紀)
六六七年(天智六)6月 近江に遷都した
六六七年(天智六)一一月 倭(やまと)国高安城(たかやすのき)を築く。(日本書紀)
六六九年(天智八)八月 天皇高安の嶺に登りまして議(はか)りて城を修めんとす。なお民の疲れたるを恤(めぐ)みたまひて止めて作りたまはず。(日本書紀)
六七九年(天武八)一一月 初めて関を龍田山、大坂山におく。よって難波に羅城(らじょう)を築く。(日本書紀)
七一九年(養老三)一二月 備後(びんご)国安那郡の茨城(うばらき)を停む。(続日本紀)
この記載の内、高安城については、八尾市内にあるとされていますが、専門家の間でも確定には至っていないようです。
龍田山、大坂山の関についても位置の特定には至っておらず、諸説あるようです。
現状で確実な遺跡について記載していくこととします。
水城



大野城


鬼ノ城(茨城)

参考文献 総社市 2006 『総社市埋蔵文化財発掘調査報告19 古代山城 鬼城2』総社市教育委員会

総社市 2005 『総社市埋蔵文化財発掘調査報告18 古代山城 鬼城』総社市教育委員会

総社市 2006 『総社市埋蔵文化財発掘調査報告19 古代山城 鬼城2』総社市教育委員会



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