【徳島チーム】鳴門市の遺跡について鳴門市市民生活部文化交流推進課の方に聞いてみた!
- 徳島海洋文化遺産プロジェクト
- 2 日前
- 読了時間: 7分
[はじめに]
少し前に、鳴門市でフィールドワークをするなか、市民の私は、プラプラしてもいいが、知らない人がみたときに、誤解を招くのではないかと危惧し、鳴門市に、メールにて問い合わせを行ったが、文化財担当のかたからの返答は、全く的をえれてない、不信に想われている様子さえ感じたため、直接話を聞くことにした。
自分のプロジェクトチームがどんなものか、改めて説明。鳴門が好きで、フィールドワークをしたい。ことと、鳴門の遺跡について知りたいことを伝えた。
担当者さんより、メールだと伝わりにくく伝えにくいが、直接だとわかりやすく、こちらも知りたいことについて応対できることを教えてくださる。
のべ、1.5時間使用し、ひとつひとつ、考察を交えつつ、話してくださる。
◉担当者
鳴門市市民生活部文化交流推進課 文化財担当 下田智隆さん。以下担当と表示。
◉トモ
以下、松崎か私と会話については表示する。

櫛木古墳群
日出古墳群
堂浦天神山古墳群
阿波井神社裏山古墳群
竹島古墳群
室古墳
田ノ浦古墳群
納言山古墳群
亀浦北山古墳群
263
鳴門市史 上中下の巻より引用
鳴門市史 上中下について
・上…古代 古墳時代
・中…中世から近代(明治~)
・下…近代まで(昭和、現代)
みたときの感想。
現代文でまとめて書いてあり、地図つきで非常にわかりやすい。
ある場所は、徳島県立図書館に置いてあるとのこと。
神社の詳しい情報については神社庁の神社誌に掲載されていたり、聞いたりするとわかる。
水中ドローン使用時は、徳島県公安に連絡し、海岸を所轄するところに連絡したり
漁協組合に話をするのが一番いい。素直に力を借りたいことを伝える。
水中ドローンを使っている先生に直接、どのように許可をもらっているか聞く。
[本題]
阿波井神社について
昔から信仰がある。船に乗っていかないとたどり着けない。
近くに病院がある。現在は、病院関係者のみしか、船に乗れない。
市役所のかたさえ、なかなか行けないところが現状。
阿波井神社のごさいしんは、わからないが、裏山に3つ古墳がある様子。
詳しくは今の担当者さんは調べていない。
行けるのは、現状を確認にいくときだけ。とのこと。
阿波井神社のお祭りが11月にあり、有名とのこと。
私『お祭りのときは渡れるんですか?』
担当『堂浦でやっているので、渡らなくてもお祭りはみれるんですよ』
堂浦(ドウノウラ)について
集落があった。堂浦神社の境内、本殿裏にも、古墳があり、
もう石室がみえている状態。雨風により劣化。むき出しになっている。
行けば見えるとのこと。
堂浦は、海を挟んで阿波井神社の方角にある。
ここで、疑問に想うことがある。
私が鳴門市以外の徳島の博物館などを訪れたときに、
『再考』と鳴門市の名前があったことに、
どんな活動をしているのか、聞くと、
担当『鳴門市が言ってはいなくて、県の埋蔵文化センターに問い合わせてみてください。』とのこと。
少しガッカリした。
海陽町、徳島の南地方で、古い古墳が見つかったことで、
鳴門市も力をいれるのかとおもっていたがそうではなかった。
実は、大きい古墳が鳴門市にはありそれが徳島県のなかで一番である。
そんなときに現れたのが海陽町の大きな多良古墳である。
鳴門市の大代古墳に次いで大きいと。
大代古墳について…
高速道路沿いにある大きな古墳。 吉野川下流域にある。
海岸線に近かったのではないか。
私『なぜ、海の近くに大きな古墳があるんですか?』
担当『古墳は大きさで決まりますから、昔、ここを束ねてた豪族の墓だと考えられてます。それくらい民衆を束ねてたとおもわれます。』
私『古すぎて古墳と認定されてないとか聞きました』
担当『よく間違いやすいのですが、それは、萩原墳墓。二号しか残ってないのですが、弥生時代、終末期とみられて、大型の権威の象徴、鏡ですね、銅鏡が発掘されていたり、鏡といえば、祭祀を行っていたのだろう、卑弥呼も、鏡が関係していますし。』
私『徳島市の矢野遺跡では、三角縁神獣鏡が発掘されてますものね…。』
私『では、ここの墓のなかは女性ですか?!』
担当『男女はわからないけど、昔から豪族の権力者は男性にあったと考えられてます。おそらく…男性』
私『鳴門の昔の地形についてですが、たとえば日出湾の神社は、海が大きな地震などで引いたりしたとかで、山の下に降ろしたとかありますか?』
担当『ブログみました。あのあたり一帯がまさしく製塩土器の遺跡があるところです。山の上に日出古墳が10其あるんです。盗掘があるかもしれないですが』
私『みにいかれてはないんですか?』
担当『古墳で大きいものは調べていますが、』
製塩土器について…古墳時代、塩を煮詰めたときのかけら。祭りのときの勾玉などが出土。
土地の、地形、海の変形について、明確にはわかっていないとのこと。
隆起したとこも、沈む(沈下)したとこもある。
私『鳴門市は中央構造線上にありますものね』
担当『中央構造線の南が落ちたとは言いますけどね。でも、能登地震のように地盤沈下したところや隆起したところもあったでしょうね』
鳴門市の地形と古墳をみているとだんだんみえてきたのは、山の尾根に遺跡、ふもとに集落。
私の考察として、神社があるところは重要な豪族の墓、古墳が近くにあることを教えてくれているような感じがした。
鳴門市の豪族の集落
海の近くの平地に住まいがあった、山へは、食料確保が難しいことがあった。
私『山は、墓であって、ひとの通行の道だったんでしょうか?』
担当『峠と呼ばれるとこは、昔から人々が頻繁に通っていたと考えられますね。痕跡がたくさんありますから』
そして、おそらく、戦もあった。
豪族と豪族同士の。
担当『弥生時代終わりに争いがあったと考えられまして、鉄を得るために交易もあったし、兵器ももっていた。』
私『じゃあ、豪族は少し上に住んでたのでしょうかね、見渡せますものね。』
担当『戦を束ねるのも豪族ですから』
高地性集落誕生と考えられる。
弥生時代は、平たいところに海浜集落。山の上に墓地。
弥生時代終わりには、高地性集落。
担当『けど、山の奥にはなかなかないんです。なかにはありますけど。』
私『生活するためにですね』
もしかすると祭祀を行っていた豪族は、
山の奥にあったのではないだろうかとも、考えた。
私『神社の位置はどうだったのでしょうか?』
担当『神社の位置はいろんな都合で変わりますよね。広くしたり。出雲大社のように、太古の柱跡が出土とかない限りは。』
元の集落は漁村で始まっていった。それが自然なつくり。
私『あと、日出神社についてですが、ほんとに火の玉が出るのでしょうか?フナタマが祭られていますか?』
担当『ごさいしんについては、神社庁に聞いてみてください。ただ、自分の都合でいろんな神様を信心して祀ってるのだと思います。地名については、いろんなとこでいろいろ由来がありますけど、火がでるからひうで。かもしれませんし。いろいろ考えられますね。』
担当『自分達の調査対象とするものを明確にしたほうが、調べやすいですね』
私『…鳴門市の海中、水中遺跡で、わかってるものでなにがありますか?』
担当『縄文時代前の旧石器時代の土器破片が、鳴門の橋をつくるときに、地盤調査で見つかりました。埋もれていました。小鳴門海峡に海はなかったんです。それこそ、チョロチョロっと流れる程度で。ちょうど橋の下です』
私『もしかして、二番目の橋の脚のとこですか!』
担当『二番目とかはわかりませんが、たぶん。』
最後に、自分達の活動について、間瀬さんや、先生に聞いた、異物を持っていったりしないこと。触らないこと。を実践していることを伝えた。鳴門市の史跡を探るのはいいか再度、聞いてみたところ(メールでは、あまり好印象ではなかった。)
担当『破壊されたりとか、盗掘されたりとかないことは、松崎さんの話を直接聞いてわかりました。市民による活動なので、現地を見学するのはいいし、考察していただいてかまいません。』
鳴門市市民生活部文化交流推進課、文化財担当の下田智隆さん
お忙しい中、お話を聞いてくださりありがとうございました!
Comments