【愛媛チーム】 瀬戸内海考古学研究会 谷若さんにインタビュー
- 愛媛海洋文化遺産プロジェクト
- 2024年10月21日
- 読了時間: 7分

どうも、こんにちは!
現在愛媛チームは、研究テーマが自由な中で膨大な研究対象から方針を決めネタを絞るべく活動中です。
そして今月からはじまります...
県内の面白そうな人にインタビューする、その第1弾!!!

[インタビュー]
瀬戸内海考古学研究会 副代表
愛媛大学アジア古代産業考古学研究センターリサーチアドバイザー
谷若 倫郎(みちろう) さん
日時:10月19日@マクドナルド
参加メンバー:私、koko
------目次・本文--------
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<谷若さんの経歴>
僕は、大学の時から考古学をやっていた。
その当時から、航路などに興味を持っていた。
愛媛県で中学校・社会の教員として採用されたが、教育委員会に呼ばれ「愛媛県埋蔵文化財センター」へ出向し16年。
その間に、瀬戸内海や地域の研究や、資料の作成に携わってきた。
退職後の今は、地域のお茶の世界に興味があり、茶の文化継承活動のお手伝いをさせて頂いてる。
高知で江戸時代から伝わる独自の製法・お茶の葉「碁石茶」(ペレットのようなもの)があるが 天皇などに献上するというよりは、漁師などが利用していた。
<水中遺産について>
例えば、朝鮮半島の生産品などが大阪の湾で出土した場合
大阪は「朝鮮半島まで取りに行った」と主張
一方、朝鮮側は「大阪まで持って行ってやった」と主張する
このように実際にどうやって運ばれたというのは、よく分からない…
そして、北部九州の博多の人は
「いやいや我々が朝鮮半島に行って持ってきて、それを大阪へ渡したんだよ」と言う。
海の航路は直線だけでなく、バトンリレーのように大陸を転々と渡って行ったパターンだ。
これは生産品だけでなく、人や文化なども移動し根付いていく。
瀬戸内海というのは、特にそういったグラデーションが重なりながら形成されていった特徴がある地域。
地図を見て分かるように、【東西】の横だけでなく【南北】の動きもあるのだ。
言い伝えの中には八幡浜と別府の間で、結婚で嫁ぎにいく文化も有名。
つまり陸続きの隣にある村ではなく対岸を渡しての交流が多い、これは生活品の特徴なども共通してくることが多い。
研究発表をするのであれば、「沈船」は確かに面白いが空振りの可能性がある。
というのも、壺や南満像の骨などの”海上がりの資料”が海中でわりと出てくるのだが
「海峡を通る時の安全祈願の儀式として沈めたもの」か
「沈没したもの」か分かりにくいところがある。
更に漁師さんが引っ掛ける遺産は確かに多いが、
漁師によっては密猟していることもあり、場所の報告は本当のことを言わないため怪しいところも
だから僕は、資料作りの時は
海辺の集落の生活や古墳の分布、祭祀場など遺跡から航路図を導き出した。
そんな中で、海中に眠る遺跡はまだ掴めていないところがある。
沈船だけでは情報が少なく、分かることが思っているより少ないのが現実なんです。
<この時代が面白そうとかありますか?>
やはり海賊の時代、愛媛県で発祥する。
海賊の時代は長く、藤原 純友から村上海賊までも多く遡れる。
世間一般のイメージする海賊と違い、水軍・海の航路を管理していた。
水軍という言葉は当時になく、明治以降に出来た言葉でそれまでは「海賊衆」。
海賊が開拓・利用した航路は、やがて江戸時代の航路の基盤になっている。
また湾を見守れる場所には、ドーナッツ状の石「繋船石(けいせんせき)」が出土する。
近くの水中には石垣が眠っており、水中ドローンを使えるなら面白そう。
海賊の城は海に囲まれた島に建てている。
松山城など城の周りを水で囲む「堀」は「守る」だけではなく、船が「移動する」ために利用されたのだろう。
今のような帆船ができたから通れるようになったと言われる航路も、
実は帆船が登場する以前の時代から使われていた。
鎖国の時代も海が壁となった時代でまた変化があってドラマ性もあり面白い。
充実している 山内 譲先生の研究など村上海賊は調査が進んでいる
他県ではできない、愛媛らしい研究ができるのかも!
それに、とにかく水軍の島は「バエル」
写真映りも綺麗、発表の資料でも見応え十分!
<豊臣秀吉と村上海賊の朝鮮出兵>
倭城の建設にあたって瀬戸内海の島に城を築いてきた村上海賊が携わったと思われる、朝鮮には倭城の絵の記録も残っている
ただ残念なことに、現地のものは埋め立てられているため正確な形は不明…
船は当時移動手段の中では、一番早く伝達ができる
村上海賊は役割からも貢献度は高かったが、海の民は身分が低い傾向がある。
<まずは皆んなで一緒に村上海賊ミュージアムへ!>
学芸員の田中 謙 さんが詳しい。
ただ、今は今治市役所に移っているので、現職・白石さんに聞くといい、
私の名前を言ったら詳しく案内してくれると思う笑
<会ってみたら面白い人>
村上 恭通 教授が鉄について詳しい、今回の海の研究と結べるか分からないけど
アイディアいっぱいだから一度はあってみたらいいかも。
愛媛大学の柴田 昌児 教授も古代の海について詳しい、自身の船も持っている。
<チームの気になる質問>
◎参勤交代の話でいえば、
島に1m四方を石で囲った狼煙場があり、火を焚いて誘導していた
島に現存している、村上海賊の甘崎城(春は割と歩いて渡れる島)にも残っている
◎ あまり知られていない伝承や、漁師の噂話などありますか?
① 嫁入り道具の食い合わせの本には、カワウソを食べたら贅沢だから死んでしまうという伝承がある
② 江戸時代の瀬戸内海にはアシカがいた!!!
昭和6年、竹島に漁師も恐れられていた最後のでかいアシカ「リヤンコウ大王」が狩られた。
その剥製が天王寺動物園にあったが、当時は貴重なニホンアシカと認識されず
今は、島根県の三瓶自然館にある。
③ ひょうたん島
島をめぐって綱引きをした結果、島が伸びでしまった。
可哀想だからもうやめようという事で島の中心が国境になる昔話がある。
また「ひょうたん島」という名前は他にも存在するが
ひょっこりひょうたん島には海賊が登場するから、この島がモデルになった説が濃厚!
愛媛の方が大きく見えるが、長さがちょうど半分の位置に国境の標柱が立っている。
2本のうち1本は折れて漂流したが、愛媛県側が拾って保存している。
平等に分ける精神から昔の人の知恵を感じる。
④ 江戸時代には、広島県のハルノミ(?)と井口(いのくち)という村が 船で島に集まり
周りに生えている浜藻を肥料として収穫するお祭りをしていた
島を取り上げるのは面白い!
④僕は「対岸が仲間の地域になる」説を思っていて
四国は四国同士というより、対岸との交流が盛んな傾向が瀬戸内海では感じやすい
伊予:安芸・備後
讃岐:吉備
高知:宮崎・そしてアメリカ(!)※渡米したジョン万次郎も高知の漁師生まれ
★<遺跡の保存について>★
ただ残すのは簡単、触らなければいいだけ…
大切なのは親しみのあるものとして活用していかないと、
その場所に行って楽しめるような、そのためにはストーリー性が大事!
さっき話した「ひょうたん島の話」も、「島が可哀想だから、綱引きをやめよう」
これは島のことを考えている行動で
どっちかが勝てばいいという話にはなっていないストーリーとなっている。
そういう話があると、その場所の価値は深まっていく。
<テーマを欲張らずに絞って、現地に行って広げていくことが大事>
1年というスパンで成果を上げようと思うと、
博物館とかの入り口がある研究に対して「素朴に思うこと」を調べて行ったらいいのかも。
専門家は当たり前に思ってやってるけど、一般の人の素朴に思う疑問が実は大切なんじゃないかな
谷若さん、貴重なお話しをありがとうございました!
ご自身の経験から本当に惜しみなく、様々なアイディアとアドバイスを頂き
とても濃厚な時間となりました!!
村上水軍はある程度資料もまとまっている中で、そこから更に自分たちなりにストーリー性を導き出せたら発表にもオリジナル性が出せる気がします!
研究の方針も決まれば、いろんな人が登場してきますので
次回もお楽しみに!
by リョウ




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