【愛媛チーム】佐田岬の海士(あまし)さんを訪ねて
- 愛媛海洋文化遺産プロジェクト
- 7月13日
- 読了時間: 3分
こんにちは〜🌞
バタやんです😊
七夕の7月7日、リョウさんとバタやんで、佐田岬半島の突端で素潜り漁をされている海士の方々にインタビューしてきました🎤

ご協力頂いたのは、海士の尾崎健史さん(左)と阿部良太郎(中央)さん😊
普段聞くことのできない貴重なお話を伺う事ができました💡
海士の方々は、素潜りでアワビやサザエを収穫されてます。
これは江戸時代から続く漁法で、乱獲を防ぎつつ海の恵みを受け取るという、自然界のバランスを保つ上で重要なポイントだそうです☝️
潜られる地域は様々で、天気や潮の満ち引きなどによって、瀬戸内海側や宇和海側など決めている、との事でした🌊
潮の満ち引きなどは、海士の方々は全て頭に入っているそうです😳
流石ですね✨
そして確かに、半島の南と北では、天気によっては海の感じが違ってそうです…🤔
さらに潮の流れなどいろいろな事を考慮しての漁。
頭脳、技術、体力…奥が深い仕事です✨
海底の様子について伺いました。
明らかに遺物とわかる物を見られた事はないそうで……
このあたりは(も?)潮の流れが早く、台風🌀の時などは4m級の岩が海底を転がるそうです😱
なので陶器が借りにあったとしても粉々になってるのでは…との事😱
波の力って、そんなに凄いんですね…😱
がしかし!
謎の鉄の塊を何度か海底で見られた事があるそうです👀
恐らく船の碇⚓️ではないか…との事。
うち1ヶ所のおおよその場所を伺う事ができました💡
また、名取の沖ではナウマンゾウの骨なども見つかっているそうです。
ナウマンゾウ、結構広く分布してたんですね…🐘
佐田岬半島の地名についても興味深いお話を伺う事ができました。
宇和島藩領色分絵図(江戸時代)に載っている岬近辺の碆(はえ:岩礁の意味)の呼び名は、今でも使っているものがかなりあるそうです。
さらにこの絵図をHPで確認すると、佐田岬の碆は他にもかなり細かく名前が付けられており、この部分だけ船の航路と思われる赤い線が入っていました。
宇和島藩時代から、やはり難所と考えられていたんですね…👀
そして…なんと今、その難所の佐田岬灯台近辺では、サメ🦈が大量発生(?)しているそうです…
サメ…
意外と(?)賢いらしく、人の獲った漁を横取りするそうです…!!
なんてこと…
いろいろお話を伺っていたら、あっという間に夕方に🌅💦
普段なかなか聞けないお話はとても興味深く、勉強になりました。
三崎の漁協のみなさま、本当にありがとうございました✨
このあとリョウさんはさらに突端の佐田岬灯台へ、私バタやんはkokoさんとの打合せの為、帰路に着きました〜😊
二見の海岸沿いの"くじら"のソフトクリームと、三崎はなはな"木と樹"のかき氷🍧

あまりに暑くて、我慢できませんでした…🥺
バタやん




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