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【和歌山チーム】雑賀衆と太田城の水攻め(日本三大水攻めのひとつ)が取り上げられる可能性

制作者 和歌山チーム ファシリテーター Tommy


和歌山チームは、それぞれにやりたいことを持ち寄って、テーマを探ることから始めました。


個々人がやりたいことは、どれもテーマにふさわしく、妙案なのですが、ひとつのテーマにまとめるのが難しく、やや停滞した状態です。とはいえ、留まってもいられません。各チームでは個人的にも動きがある所もあります。そこで、和歌山チームの番外編として、報告することにしました。


2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」が放映決定、豊臣秀吉の物語となれば、和歌山では、雑賀衆と太田城の水攻め(日本三大水攻めのひとつ)が取り上げられる可能性が出てきました。


友が島北方海底遺跡の海上がり遺物が、15世紀で雑賀衆の倭寇として活躍した時期と重なり、雑賀衆の終焉の地が太田城となれば、太田城を調べて見るのも悪くないと思い、早速出かけてみることに!



和歌山市教育委員会 2024 太田・黒田遺跡第98次発掘調査報告書 P67

和歌山市教育委員会 2024 太田・黒田遺跡第98次発掘調査報告書 P67

(撮影した場所は地図に番号で表記 撮影方向は赤矢印で表記)



12月6日 朝、神戸を出発

10:30~太田城の堀の痕跡を探しに、住宅街をうろうろ。


和歌山市教育委員会 2024 太田・黒田遺跡第98次発掘調査報告書 P67に記載された

太田城の復元案を頼りにしてみた。


北と西側の濠の位置は発掘調査の成果によってわかってきているので、

東と南を重点的に見学



写真① 不自然に曲がった道路

写真① 不自然に曲がった道路



写真② 細く残った路地

写真② 細く残った路地



写真③ 水路

写真③ 水路



写真④ 水路が暗渠に

写真④ 水路が暗渠に



写真⑤ カーブする暗渠

写真⑤ カーブする暗渠

これまでみてきた位置から推定すれば、和歌山市が考えている東側の環濠の位置はもう少し内側に来るのではと思う。



写真⑥ 発掘調査で濠が確認されている地域

写真⑥ 発掘調査で濠が確認されている地域




写真⑦ 食い違い道(城下町にはよくある)

写真⑦ 食い違い道(城下町にはよくある)



写真⑧ 来迎寺入り口

写真⑧ 来迎寺入り口



写真⑨ 太田城跡石碑

写真⑨ 太田城跡石碑



写真⑩ 1段下がる道路

写真⑩ 1段下がる道路



写真⑪ 1段下がる道路

写真⑪ 1段下がる道路



写真⑫ 1段下がる道路

写真⑫ 1段下がる道路

南側の濠は確認がなされていない。発掘調査で現有の道路を掘ることはまれ。

和歌山市の環濠の南側の位置より内側にして、現有の道路と重なるように考えるのも地形からみれば、可能性を感じる。



写真⑬ 北側環濠付近に注ぐ暗渠水

写真⑬ 北側環濠付近に注ぐ暗渠水



和歌山市教育委員会 2024 太田・黒田遺跡第98次発掘調査報告書 P67 に加筆

和歌山市教育委員会 2024 太田・黒田遺跡第98次発掘調査報告書 P67 に加筆





調査結果

現地を歩いた結果として、太田城の環濠は、従来言われていた西と南についてはもう少し内側になるとの見識を得た。


南側の濠は確認がなされていない。発掘調査で現有の道路を掘ることはまれ。

和歌山市の環濠の南側の位置より内側にして、現有の道路と重なるように考えるのも地形からみれば、可能性を感じる。


奈良県の郡山市にある稗田環濠集落は直線と曲線によって環濠で囲まれている。一番の守備の要の位置になる南面には神社が配されている。このことからすれば、環濠集落への入口である南門そばに配された寺院が環濠に接していると考えるべきだろう。


明治43年測図・大正3.5.18発行の1/20000和歌山でみれば、寺院の領域は元来、指摘した道路まで南に延びていたことからみても環濠の位置を道路と考えるべき。


水攻めの堤防 高さ2m以上残っている

水攻めの堤防 高さ2m以上残っている



この後、図書館で文献調査。水軒堤防の見学、淡嶋神社見学、加太の海岸での分布調査を実施。日没近くになったので退散。文献調査以降の成果についてはまた後日。



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