【徳島チーム】5月ミーティング!レキシルとくしま(徳島県立埋蔵文化財総合センター)へ
- 徳島海洋文化遺産プロジェクト
- 6月16日
- 読了時間: 6分
徳島チームのトモです!
最近は、地元の阿波おどりに参加するには、黒髪にロングだよー、と踊り子の友達に聞いて、これは…!伸ばさねば!!と梅雨じきで、切りたいけど、阿波おどり出たい!てことで、踊り子になりたいので伸ばし伸ばしです。
最近、だいぶ前の鳴門市編をアップしました、
現在、海陽町まわりでしぼりました。
5月のチームミーティングで、
現地の調査の日にちをおおよその日にちをしぼり、
せっかくだから、楽しいことしたい、
地域の人にもわたしたちのやっていることを発表できる場があったら!
地元のかたに、地元の海について詳しいかたに講演もしてもらってはどうか、等
佐々木先生に話をしてみたり、
いろいろ話はしたけど、
なかなかみんなの合う日にちがないことで、
もう一度、再検討となりました。
私達のグループは徳島に住んでいる人と、
県外に住んでいる人、中学生の人。春からみんな、それぞれに忙しさがましており、残念ながら、なかなか話し合いもできないこともありました。
そんななか、
佐々木先生の知り合ったかたが、歴史に詳しいということで、私達のチームに紹介してくださり、南についての歴史や伝承について、教えてくださる機会をくださいました。


徳島県チーム トモ 小濱さん 二名
6月14日、13時30分から
徳島県埋蔵文化財センターレキシル徳島へ
研究主幹 大橋 育順 先生(徳島県県庁職員様)
◎注意喚起
みつけたものは、もちかえらない。(鉄則)
☆今回、文化財としてなにかを見つけたときはどうなるか↓↓
(手続)発見届けを海陽町に出す→海陽町が警察に届けを出す。
詳しく↓↓(資料1より)
遺物を発見した場合の取り扱い
海岸や海中で漂流物を発見した場合は、水難救護法により市町村長に届出る。発見したものが埋蔵文化財と認められる場合は、遺失物法に基づいて発見届を警察署に提出する。県が文化財と認定し、かつ6か月が経過し所有者が現れなかった場合は県が所有。
遺跡の破壊につながるのをとめる、文化財の保護のため
好奇心とかで、活動している人かどうか見極める。その場合は止めるのが、徳島県庁職員としての対応。
やはり、私たちは、個人で動くとあまり良いイメージがないことがわかった。
佐々木先生からあらかじめメールがあり、活動、
プロジェクトの内容は理解できているが、再度、簡単に説明を求められる。
・メンバーの説明
全員ダイバーだと思われていた。
担当先生の佐々木先生のこと。
名前、職業、住んでる地域。全員のことを聞かれる。
あらかじめ用意した、
プロジェクトホームページのプロジェクトに関わる先生の一名一名をコピーしたものと、自分たちメンバー全員が写ったミライエの集合写真のブログを印刷してあったのをお渡しする。
終始歓談し、
本題に入る
◎本題
資料いただく。 計大きく3部 内2部はパンフレット
写真 右から1.2.3

1. 海洋文化遺産プロジェクトについて
大橋先生が、まとめて作ってくださったプリント。12枚表裏あり
抜粋し話してくださる。
2. 阿波国地震津波碑ガイドブック 阿南市以北之図
※文化庁 平成28年度地域の特色ある埋蔵文化財活用事業
いにしえから未来へ!『とくしまの歴史文化』発信·発見プロジェクト 発掘現場から文化力
3. 先人からのメッセージ 海部郡編
国登録記念物『南海地震徳島県地震津波碑』現代語訳版ハンドブック
上※と同じ
資料1.と資料2を主に 話をしてくださる。
伝承 などは、特に面白くて、知らないことがたくさんあった。
また、『JR由岐駅に併設するぽっぽマリン』には、
美波町由岐~阿波沖海戦(手作り地図の海部郡のところあたり)
薩摩の最新鋭の戦艦と、幕府の最新鋭の戦艦が砲撃戦!!なんと、40発も、打ち合いをしたけど、当たらなかったそう。
春日丸は薩摩に逃げ切ったが、
輸送戦は、遅かった…
浅瀬に乗り上げ座礁した。乗組員は、土佐へ逃げ、由岐の港で逃げおくれた船は自爆した。
乗組員の名に、歴史で勉強した人物、開陽丸には、榎本武揚、春日丸には東郷平八郎という著名人が乗船していたという。
ここから、戊辰戦争につながったから、これは面白いと思いました。
そのぽっぽマリンには、自爆した場所、座礁した場所など、すべての本当にあった歴史が残されているという話を聞きました。
大橋先生が、もうひとつ、『ぽっぽマリン』にある伝承が残ってると教えてくださった。
美波町志和岐~ノースアメリカン号の座礁 明治25年暴風雨によって志和岐田井が浦の岩礁(手作り地図の海部郡のところあたりです)に乗り上げた。
志和岐の住民総出で決死の救出作業にあたり、乗組員23名を無事に救出した。この功績に対し、当時の大統領から金一封とともにメダルが贈られた。と、展示されているとお聞きしました。
その後もいろいろな話をしてくださり、
とても興味深いと思いました。
現地の調査のときに、同行していいかと佐々木先生にお話をされたそうで、承諾を得たことをここで初めて聞きました。
その後も、今後のプロジェクトの動きかた。調査したい町との間に入ってくださる。等、
いろんな話ができた。
そのために必要なこととして、
計画書として、まとめて、
大橋先生に送ることになった。
これから、やることがたくさんあり、
初めてのことで、正直 不安ですが、
楽しくできたらいいなと、思いました。
こころよく、たくさんのことを教えていただきました。
大橋先生、本当にありがとうございました。
ブログについてはとても面白いお話を聞け、今後につながると思いましたので、一部抜粋し、載せさせていただきました。
ご厚意に感謝いたします。

徳島の『南の地域』のことについて、調べました。
先生を含めた、徳島県メンバーで、二月に 現地の調査をしました。
そのなかで、興味深いのは、
津波碑が、しかも、だいぶ年代の古いものや、、、突然港に現れた漁師さんらしきお二方より、『那佐湾のほういってみぃ古いんあると思うよ』と言われ、当初予定はしてなかったが、
導かれるまま、行ってみると、、
那佐湾では、いろいろな伝承が書かれている看板をみつけたり。
その後日にちがたち、
文献を調べながら…
『和奈佐意富曽神社』が古代からあったことや。
県外の丹後国風土記には、『和奈佐』ワナサという名のついた老夫婦がかいてあったり。
はたまた、びっくりなのが、
出雲風土記には『阿波枳閇委奈佐比古神社』が書かれており、アワキヘも、阿波から来た意味があるという。
つまり、徳島の南には、すごい海洋民族が、いた?!
私の妄想は膨らむばかり。
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