【愛媛チーム】ランディ先生と現地調査part3!②~九島探索&明浜歴史民俗資料館訪問、そして…🎸🎶
- 愛媛海洋文化遺産プロジェクト
- 8月16日
- 読了時間: 3分
亀ヶ池で水中ドローン"ヨシツグくん"を無事回収したあと、途中八幡浜で腹拵えをして、一路宇和島へ向かいます🚗
目的地は宇和島の"九島"です。
昔は島でしたが今は橋が掛かっていて、車で渡れました。
観光?スポットはモスラ岩とゴジラ岩。

そう言われると、確かにそんな形…か?😅
これらは島の南西側ですが、島の北側に周ると、謎の穴の空いた岩が…
そして木?鉄?の杭???

ただこの時間はほぼ満潮に近く、近くまで行けず…😵
さらに暑さによるダメージもしっかり蓄積していた為、この日の調査はここでひとまず終了となりました✨
先に上陸していたkokoさん達と合流し、宿泊先のホテルへ😊
夜ミーティングを行い、翌日はkokoさんが予約を取ってくれていた明浜歴史民俗資料館です!

ここには縄文時代の釣針があるとの事😳。(kokoさん調べ)
早速入ってみると…
はいどーん!

デカい…😅
(奥に写ってる人の足と比較して頂けるとデカさがおわかり頂けるかと…😅)
そしてこれは一体何だろう………
説明文によると、これは「木彫りの立体地図」で、全国に11点しかない江戸時代のものだそうです👀
へ〜✨
昔は色も着けてあったとか。
境界線も引いてあったのかもしれません✨
当時の木彫りで立体地図をここまで精密に作る技術に、ビックリです😳
そして何に使われたのかというと…境界論争。
資料館を開けて頂いた、西予市教育委員会の髙木さんが詳しく解説をしてくれました。
江戸時代、村人の草刈りを発端に、最後は藩同士(吉田藩と宇和島藩)の争いにまでなったそうです。
結局宇和島藩有利で決着が着いたそうで、分水嶺からちょっと吉田藩側に入った所に藩の境界線が決定。分水嶺から境界線までのエリアは、入相地(共同管理)となったようです。
境界線の所には石碑(?)がいくつも打たれたそうですが、今は山深く、探すのは大変そう…(でもまだ残っているかも!)
目的の縄文時代の釣針もありました!

これだけだと大きさがわかりにくいですが、全体で約3㎝くらいでした。
こちらは日振島の越集落の沖合約200m、水深28〜30mの海底から見つかったそうで、鹿の角でできているそうです。
他にも昔の漁場図や、船の備品、蛸の伝承などなど盛りだくさん📝✨

個人的に一番驚いたのは、愛媛は関係ないな〜、と勝手に思っていた😅、北前船がここに来ていたという事。
この辺りは昔は良質な石灰が取れたそうで、それを売っていたそうです。
(2回目の)へ〜✨
みんなでしっかり堪能して、髙木さんにお礼を言い、資料館を出た後はすぐ近くの海岸へ。✨

子供達は元気です…(大人は雨と暑さにやられてます😅)
そしてビーチコーミングの成果が…!

タコノマクラ‼️
おおーーー‼️
これはウニの仲間だそうですが、カワイイですね❤️
最後は子供たちのリクエストで、ランディ先生がウクレレ独奏会をしてくれました〜😊

ご褒美タイム✨✨✨
バタやん




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