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【愛媛チーム】因島水軍城・弓削島荘遺跡散策 [弓削島荘遺跡編]


因島水軍城で開催中の「村上海賊の海城と山城 15選」を見学し、因島でランチミーティングをした後に弓削島へ。


因島水軍城で開催中の「村上海賊の海城と山城 15選」を見学し、因島でランチミーティングをした後に弓削島へ

愛媛県と広島県との県境、芸予諸島の中でも上島諸島と呼ばれる島しょ群に属する弓削島は、鎌倉時代に京都東寺の荘園として塩をつくり東寺に貢納していた歴史があります。


弓削島は古くから製塩が盛んで、平安時代後期から室町時代まで荘園が存続し、鎌倉時代の延応元年(1239)からは東寺領となりました。東寺に伝えられた「東寺百合文書」等に関係資料が多く残り、塩を貢納した「塩の荘園」として日本史上よく知られています。

2021年10月には弓削島及びその北東に浮かぶ百貫島とその周辺海域からなる荘園遺跡が、「弓削島荘遺跡」として国の史跡に指定されました。

(瀬戸内かみじまトリップ上島町公式観光総合サイトより)




因島の家老渡(かろうと)からフェリーに乗り上弓削港へ。今回は上弓削の遺跡を中心に回りました。


まずは、「高浜八幡神社」周辺を散策。高浜八幡神社は、「東寺百合文書」にある文治4年(1188)の検田日録や応長元年の相分帳にみられる「八幡宮」の後身と考えられ、弓削島荘が東寺領になる前からこの地にあった古社です。


因島水軍城で開催中の「村上海賊の海城と山城 15選」を見学し、因島でランチミーティングをした後に弓削島へ
因島水軍城で開催中の「村上海賊の海城と山城 15選」を見学し、因島でランチミーティングをした後に弓削島へ

「ハ幡宮」周辺の海岸は、弓削島の西海岸で有数の塩浜所在地であったことが推測されています。

かつて境内で実施した発掘調査では、塩浜の整地層である浜床とその直下に人為的に造成された基盤層が確認されています。


・応長年の相分帳から 14世紀初頭には「タカハマ」に塩浜が存在したこと

・放射性炭素年代測定結果

これらから、浜床層は11世紀代から13世紀代までの間に形成された可能性があるといわれています。


また、浜床面の標高が現在の大潮時の満潮面よりも高いことから、「タカハマ」の塩浜ではその西にある海岸から人力で海水を汲みあげて採鹹地(さいかんち)に散水する揚浜式製塩が行われていたと考えられます。

製塩方法には揚浜式の他に入浜式があります。その違いは、揚げ浜式は人力で海水を汲み上げるのに対し、入浜式は潮の干満の差を利用して海水を引き入れ、毛細管現象によって砂を湿らせるところです。これを、太陽熱と風で水分を蒸発させ、砂に塩分を付着させます。この砂を沼井に集め海水をかけて、かん水を採り、それを煮つめることで塩を作り出していました。


製塩技術は古く、古代は藻塩焼きという海藻を利用する方法でした。やがて砂を集め濃度の高い塩水を採集して煮詰める方法へ移行しました。

藻塩焼きは百人一首にも登場しています。


「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに

焼くや藻塩の 身もこがれつつ」

97番 権中納言定家


江戸時代初期に入浜式が普及発達し、いわゆる「十州塩田」(製塩の中心地の瀬戸内海周辺の10ヶ国(播磨,備前,備中,備後,安芸,周防,長門,阿波,讃岐,伊予))が成立しました。


高浜八幡神社社殿の北にある宮ノ山の北の海上には「京ノ小島(きょうのこじま)」があります。この小島には、弘法大師が願文と経文を1字ずつ小石に書いて、それを埋めたという伝承があり、経ノ島とも呼ばれています。


因島水軍城で開催中の「村上海賊の海城と山城 15選」を見学し、因島でランチミーティングをした後に弓削島へ
因島水軍城で開催中の「村上海賊の海城と山城 15選」を見学し、因島でランチミーティングをした後に弓削島へ


その後、車を少し走らせ島北に移動し「大田林(おおたなばし)の塩浜」へ。


因島水軍城で開催中の「村上海賊の海城と山城 15選」を見学し、因島でランチミーティングをした後に弓削島へ
因島水軍城で開催中の「村上海賊の海城と山城 15選」を見学し、因島でランチミーティングをした後に弓削島へ

応長元年(1311)の「伊予国弓削島庄田畠山林塩浜以下相分帳」(東寺百合文書)の記録には「タナハシ」という名で登場し、塩穴が存在したことを読み取ることができます。また、護岸に面した畑地で実施した発掘調査では、塩浜の整地層である浜床が確認されています。残念ながら、今は埋め戻されて、草むらと化していました。


因島水軍城で開催中の「村上海賊の海城と山城 15選」を見学し、因島でランチミーティングをした後に弓削島へ
因島水軍城で開催中の「村上海賊の海城と山城 15選」を見学し、因島でランチミーティングをした後に弓削島へ

このことについて、上島町教育委員会に問い合せたところ、発掘は看板が立てられている場所で行われたそうです。このエリアはほぼ民有地であるため、それ以外の場所での調査は現時点では困難とのことでした。しかし、発掘の結果、海岸沿い全体に塩浜が存在していた可能性が高いと考えられます。

今後の活用については、この発掘地を、製塩体験ができる施設として活用することを検討しているようで、周辺の土地を買い取ることについても、今後の計画の一環として議論を進められているとのことでした。



その後はお土産を購入した後に、島内で情報発信的な役割を担うカフェ「しまでcafe」に立ち寄りました。紅茶やハーブティーに添えられるお茶請け「摘み菜クッキー」には、お店のお母さんのちょっとした工夫が施されており、一口で島の自然の恵みを感じることができます。


因島水軍城で開催中の「村上海賊の海城と山城 15選」を見学し、因島でランチミーティングをした後に弓削島へ
因島水軍城で開催中の「村上海賊の海城と山城 15選」を見学し、因島でランチミーティングをした後に弓削島へ

店内では、お母さんの軽快なトークが楽しめます。話題は薬草(例えばボタンボウフウ)から始まり、ビーガン、政治、歴史、さらには地域活性化のアイデアにまで広がりました。最近では海外からの旅行者も増えており、店内の世界地図には訪れた人の出身地を示すピンが沢山押されていました。周囲のお店が13時半頃に閉まるため、ランチを求めて訪れる方も少なくないそうです。


興味深いエピソードとして、外国人のテレビ取材があった際に急遽ビーガン料理を作ったところ、イギリス人の取材者から「味噌を入れるとさらにおいしかったかも」との感想が。意外な視点に驚かれた様子でした。


我々の活動に着いてお話したところ、近隣の島に停泊中の民間災害医療支援船“Power of Change”がソナー付きの船であるとの情報も頂きました。もし海底調査が必要であれば一考の価値がありそうです。


さらに、東寺関係の方や、この地域について明るい教授についてご紹介いただきました。


最後には、お店の旦那さんも会話に加わり、さらに深い話に。「もし海底に関する情報があれば、ぜひ教えてください」とお伝えしてお店を後にしました。

因島水軍城で開催中の「村上海賊の海城と山城 15選」を見学し、因島でランチミーティングをした後に弓削島へ

弓削島は豊かな自然や文化、そして地元の方々の温かさを肌で感じられる場所。小旅行にもおすすめです。ぜひ一度訪れてみてください!


sou

因島水軍城で開催中の「村上海賊の海城と山城 15選」を見学し、因島でランチミーティングをした後に弓削島へ

ps.岩城島をはじめとする瀬戸田は檸檬が名産として知られています。


[参考文献 ]

国指定史跡 弓削島荘遺跡 公式パンフレット

塩百科

コトバンク

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