【愛媛チーム】いざ⭐️佐田岬半島へ
- 愛媛海洋文化遺産プロジェクト
- 7月12日
- 読了時間: 5分
毎日暑いですね〜〜〜
愛媛も暑いです〜〜〜
バタやんです🤗
先月29日、かねてより予定していた佐田岬半島へ、リョウ、koko、バタやんの3人で行ってきました🚗
午前中は、佐田岬半島ミュージアムの高嶋館長さんからいろいろ貴重なお話を伺い、午後はみんなで、気になるところの現地確認をしてきました👣
外はもうね…、太陽🌞のパワーがね…、ハンパなかったです…😭
さて!お伺いした内容報告…の前に、佐田岬半島がどこなのかというと…
ココです↓

愛媛の西の端の、ひょろひょろ〜っと長い部分。
(実はこの先の大分の佐賀関半島まで、なんと一般国道の海上区間となっています😳)
地形としてもかなり特殊。
なので、毎回行くだけでちょっとテンションが上がります😁
さて!
以下がお伺いしたお話の内容です💡
※kokoさんが佐田岬半島のおっきな地図(力作❗️)を作ってきてくれたので、それを元にお話を伺いました😊🗺️
【亀ヶ池にはかつて波止場があった⁉️】
佐田岬半島ミュージアムから5、6キロ東に行った所に、亀ヶ池という池があります。
高嶋さんが、平成16年に地元のおじいちゃんから聞いたお話。
おじいちゃんが昔、亀ヶ池に潜ったところ、波止場と思われる石積みが見えたそうです👀
現在は"池"になってますが、1614年頃まではどうやら深い入り江だったそうで、徐々に入り口に土が堆積して現在の潟湖(セキコ)になったとの事。
池の成り立ちにもいろいろあるんですね~😳✨
【特殊な地形で様々な歴史を持つ三机(ミツクエ)】
三机にある湾は、湾の中にさらに小さい湾がある、少し変わった地形。
この小さい湾の入り口の、鳥のくちばしのような地形を砂嘴(サシ)というそうで、この部分にある”須賀の森”は天然記念物に指定されているそうです。
古くは参勤交代で藩主が南の”塩成”から上陸してショートカットをして、船だけ岬を回し、その間滞在したとされる歴史のある場所。
さらに太平洋戦争時は、真珠湾に地形が似ていた事から特殊潜航艇の訓練地にもなっていたそうです。
そしてさらに、絵図として記録が残っている珍しい鯨塚も👀
【二名津にある伝説の石碑】
1748年に二間津(当時)で停泊中だった宇和島藩の船3艘が台風で転覆。
水夫18人(一説では22人)が亡くなったそうで、1761年に宇和島藩主伊達村候が参勤交代の帰りに法華経の入った箱(教箱)を海に投げ入れます。
1762年、その経箱が浮かび漂っていたのを地元の漁師が回収し、岸畔に塔を建て、教箱を祀ったそうです。その供養塔が「大乗妙典之塔」。
なので恐らく今も、石碑の足元には経箱が眠っているのかもしれません…
実際にこの年には台風の記録があり、その台風の災害の石碑が残っているのはココだけだそうです✨
【津波で現れた白崎の二尊】
1474年(文明6年)室崎(現在の伊方町永田の室の鼻)に約6mの津波が押し寄せたそうです。その際、白崎(現在の伊方町湊浦と仁田之浜の境界あたりの海岸)に黒い物が現れ、夜に光を!🌟
翌日村人が見に行くと、なんと不動明王と弁財天の二尊が立っていたとのこと。
現在、弁財天は行方不明だそうですが、不動明王は伊方町の法通寺に安置されているそうです。
【佐田岬半島に残る波止場・防波堤いろいろ】
頂いた資料によると、現在22ヶ所確認済み(江戸末期~昭和30年代築造)のようです👀
現在も使用されているものもあるそうですが、行き来が難しい場所もあり、他に残されている可能性も示唆されており…
まだ見ぬ幻の波止場もあるかもしれません…
[参考資料]
ふれあいいかた第225号(平成16年7月)掲載
さだみさきフリークBOOK vol.3
佐田岬民俗ノート1
伊方町 町見郷土館 研究紀要 第一号
愛媛県の近代化遺産―近代化えひめの歴史遺産総合調査報告書ー
他にもいろいろ、子持勾玉の話や仙台市名取との繋がりなど、面白いお話を伺うことができました✨
高嶋さま、本当にありがとうございました😌
このあとミュージアムを出て、ギラギラ太陽の元、みんなでまず亀ヶ池に向かいました。

お話によるとこの辺?…ですが、

透明度…どうでしょうか…🤔
水中ドローンを入れたとして、見えるかな………💦
ここからの帰り道、ご近所にお住まいのおばあちゃんに遭遇✨
暑さでバテバテの私たちに代わり、kokoさんがいろいろお話を伺ってくれました!😊✨
次に向かったのが、三机。
江戸時代に運河を作ろうとした名残の堀切(ほりきり)に掛かる橋の下をくぐって、南側から北側に移動します。

しかし暑い。めちゃくちゃ暑い。
涼を求めて、須賀の森へ入ります。

このあたりで、あまりの暑さにボーッとしてきております🙃
ですが、最後の力を振り絞って、二名津に向かいます‼️
少し迷って…
ありました‼️

この石碑の足元に経箱が…
そして転覆したとされる二名津沖を見に行ったのですが、ここで疑問点。
そういえば、石碑は「岸畔」に建てたと…
今の石碑、かなり街中にあります。
もしかして、埋め立てられている…❓
むむむ…🤔
やはり海の調査は一筋縄ではいかない😅
この時点で18時前。
なのに見てください。まだまだギラギラの太陽…😓
恐るべし、夏。
というわけで、ひとまず次の集合日時を決めてこの日の調査は終了したのでした😊
佐田岬半島、地形も面白いけど、歴史も人も面白いです🤭
そして地形繋がりで私がひっそり思っていること…
愛媛県の形が、プーマのロゴに見えてしまう…
バタやん




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