和歌山県チーム ファシリテーター Tommy
太田城の水攻め堤防についてはある程度推定できたが、水攻めを実施に行った結果については、説明できていない。そのため、国土地理院のデータを元に太田城とその周辺の微地形を確認することとした。
あくまで都市部での埋め立て後のデータであるため、当時の地形を必ずしも再現できているとはいえないが、参考にはなると思う。
国土地理院のデータを使って、50cmの高低差を色別で表現した図である。
色別標高図を元にトレースして等高線に代えて地形をわかりやすくしてみた図である。
薄い水色は標高5mまで水をためた場合の範囲を示している。
ピンクの線は、新たに考えた水攻め堤防の追加推定線である。南東部分はそんなに確証のあるものではない。
これでわかることは、来迎寺は1段高くて、4.5m以上でないと水没しない。
また、5m以上の高さまで水をためようとすると、広範囲に氾濫し、それ以上は水位を上げられそうにないことである。
また、断面図からわかるように、東西方向にはあまり大きな傾斜はなく、かなりフラットであることがわかる。
まとめ
本来、太田城周辺は、水田であったと考えられるため、20~30cm程度水がたまっただけでかなり行動は制限される。太田城周辺が4m程度の高さであったとすれば、50~100cm程度の水が太田城を囲ったと考えられる。
水攻め堤防の高さは、標高で表すと8m程度まであったといわれており、現状でも7.5mとなっている。
5m程度の高さまで水をためるには十分の高さであったといえる。
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