【福岡チーム】3月8日フィールドワーク IN 門司 -草薙の剣を探して
- 福岡海洋文化遺産プロジェクト
- 3月21日
- 読了時間: 3分
「壇の浦の戦いで海中に沈んだ草薙の剣って現代の技術で探せるんじゃないの?」
これが福岡チームの素人的な素朴な疑問でありテーマです。そのため今回は本丸ともいえる下関にいきました。
事前準備として,我々のテーマからするとどこで剣が沈んだのかが大事です。折角なので現地の詳しい方にお話をお聞きしよう!ということで下関の博物館に「壇の浦の戦いで詳しい方はどなたですかね?」と尋ねました。すると「赤間神宮の宮司さんではないか」という回答でした。
そこで,急遽赤間神宮にアポイントメントをお願いすると快く水野大直(もとなお)宮司からお時間をいただくことができました。
午後1時ころのお約束のためそれまで安徳天皇の廟,平家の首塚,壇の浦の戦いの場所などメンバーで探索。途中唐戸市場ですしなどを個別にとって昼食。天候にめぐまれ気持のよい探索になりました。
水野宮司から大変興味深い話を聞くことができました。
・赤間神宮は明治期の廃仏希釈で神社になったにすぎず阿弥陀寺の寺院であった。資料として「赤間関阿弥陀寺来由覚」のコピーをいただきました。
・その阿弥陀寺の創建はいちおう貞観元年とされているが,おそらく安徳天皇を霊をなぐさめるための寺院であった。
・水没地点は関門橋の下あたりのもっとも海峡が狭いあたりだという根拠は,昔の地名,二位尼が「 みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこあり」というみもすそ川があった(今は暗渠になっている)ことなどお聞きすることができました。
・入水地点はその沖合とされている。「赤間関阿弥陀寺来由覚」には「おきのたぶにて天皇御入水」「おかのたぶにてご一門御入水」とある
などなど


この4つ足の碇はおかしいよねと石原先生とお話しました。先生によると時代考証なく歌舞伎でも4つ足だったりするそう。
廃仏毀釈で阿弥陀寺自体のものは多く失われたこと,古い資料は下関の空襲で大工が亡くなったこと,水野家はもともと越後の出身で戦中大陸の神社で神職をつとめ,たまたまのご縁で赤間で宮司をすることになった。その後徐々に壇の浦関連の品々を集めていることなどご教授いただきました。
残念ながら入水地点は出土物など考古学的な裏付けはなく文献学的なものに寄らざるを得ませんが,もともと現代の技術では見つけることが可能かどうかという検証ですので,みもすそ川沖の「おきのたぶ」を入水地点としてどのような調査をすれば見つけることができるかということになりそうです。
今回は山口ということもあり,山口チームとご一緒できました。ヒロさんは日本海でウニやサザエもとる漁師とのことで遊びに行かないと! なお,高校生諸君は駅に向かわずに歩いて九州に帰るそうで現地で別れてフィールドワークを終えました。

当日も婚礼の儀式など行われていました。小泉八雲の耳なし芳一の舞台は赤間神宮の前身の阿弥陀寺です。

こちらに阿弥陀寺の本殿や安徳天皇の御影をおさめた御影堂などあったとのこと。山口チームとはじめてご一緒できました!
Comentários