<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" version="2.0"><channel><title><![CDATA[【CKUH】神戸大学海洋文化遺産プロジェクト]]></title><description><![CDATA[海や湖、河川といった水域に残る過去の歴史を今に伝える遺跡「海洋文化遺産」を「水中考古学」という学問から、それらに携わる研究者、海洋だけに関わらない様々な分野の人々が協働で「市民参加型研究」を実施、それらの研究における総合知創出までの過程をまとめ、海洋分野における総合知を創出する手法の構築を行います。]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/news</link><generator>RSS for Node</generator><lastBuildDate>Sat, 05 Sep 2026 03:15:46 GMT</lastBuildDate><atom:link href="https://www.ckuh-kobe.com/blog-feed.xml" rel="self" type="application/rss+xml"/><item><title><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究チーム　　対面ミーティング　初✨開催‼️]]></title><description><![CDATA[こんにちは　ミイナです 8月24日(月)    オンラインミーティングでは何度も顔を合わせていますが、チームとして初めての対面ミーティングが、ようやく実現しました！ 本来はキックオフイベントで皆さんとお会いできる予定だったのですが、台風の影響で中止に、、 それだけに、今回の対面ミーティングは待ちに待った機会でした 今回は、神戸大学海洋政策科学部・深江キャンパスにある中田先生の研究室に集合 中田先生にも同席していただき、直接お話を伺いながらミーティングを行いました やっぱり、対面はいいですね！ 発言しやすい、質問もしやすい そして何より、画面越しではなかなか伝わらない「空気感」が伝わります 「やっと皆さんに会えた！」 そんな気持ちになりました それぞれの研究を、どうつなげていくか 私たちのチームでは現在、 • 大阪城の石垣 • 戦時徴用船 • 砲台 と、それぞれ異なるテーマに取り組んでいます 一見すると別々のテーマのようですが、私たちはこれらを大阪湾という大きなフィールドの中でつなげていく方向で研究を進めています とはいえ、 「本当にそれぞれの研究がつながっていくのだろうか？」...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E5%AF%BE%E9%9D%A2%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0-%E5%88%9D-%E9%96%8B%E5%82%AC</link><guid isPermaLink="false">6a991913b2b3c9e786b9d444</guid><pubDate>Thu, 03 Sep 2026 07:01:07 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_925a714420f241378241abf2f6bd25b4~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[【第4・5回目議事録】外からの来週に備えた軍事施設の研究チーム]]></title><description><![CDATA[チームリーダーのKTです。7月、8月の3週目に行われたチームミーティングを行いました。 チームの大きな方向として、”大阪城の石垣について”また”戦時徴用船”について関心がありそれぞれの研究の進め方について先生から助言をいただきました。 大阪城の石垣では、吉崎先生が瀬戸の島から意思を運ぶ際の資料を作成しており後日いただくことにつながりました。 戦時徴用船については、メンバーのよぐさんが論文を書いていたり、先日学会誌に投稿されており、力強い存在です。 ブログにも先月から定期的にアップされいるように成果としてメンバーのバロンさんが研究成果をアップロードしてくださっておりとても頼もしい限りです。 私は現在大学で卒論を書いており、瀬戸内海で起きたある事故を切り口に瀬戸の海が日本の領土として瀬戸内海と内外に認められるようになった経緯について研究をしております。 歴史というのは、過去の出来事そのものではなく、後から出来事が選択され、接続され、意味を与えられることで構成されるものであると感じました。 事故や外部との衝突がおきたこと。それを処理したロジック。後世でそれがどう評価されたのかという積み...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E3%80%90%E7%AC%AC4%E3%83%BB5%E5%9B%9E%E7%9B%AE%E8%AD%B0%E4%BA%8B%E9%8C%B2%E3%80%91%E5%A4%96%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%9D%A5%E9%80%B1%E3%81%AB%E5%82%99%E3%81%88%E3%81%9F%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0</link><guid isPermaLink="false">6a982265f8116cf4aa6d80e0</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究]]></category><pubDate>Wed, 02 Sep 2026 13:36:35 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_a73aa1ad00864d01923ed1df6667ce3b~mv2.png/v1/fit/w_394,h_148,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る　調査成果　そのⅣ]]></title><description><![CDATA[海外からの脅威　第4波　欧米ロからの圧力に対する防衛　明治編　 ４．資料提示　淡路島　由良周辺 参考文献 角田誠　2009「Ⅰ .　由良地区の砲台・堡塁」『由良要塞跡Ⅰ～大阪湾防禦の近代築城 遺跡～』近代築城遺跡研究会 兵庫県教育委員会　2013『兵庫県の台場・砲台』 由良地区周辺分布図　（角田　2009） 成山砲台 ここは近世由良城が築かれていた場所で、城跡の主要部分は砲座築造の際にその遺構も大部分消滅した。 成山第１砲台 第１砲台には、克式35 口径12 糎加農砲6門、克式35 口径15 糎加農砲2門が配備され ていた。竣工後に第一、第二砲台において、砲廠・弾廠・繋船場・弾丸本庫等を増築して いる。戦後米軍の命令により爆破されており、更に国民宿舎成山荘が建てられた関係で、遺構の殆どは破壊を受けており詳細は不明である。 成山第２砲台 第二砲台には28 糎権弾砲2門と制式12 糎加農砲2門が配備されていた。砲座及び横堵は残存しているが、戦後米軍の命令により爆破されている。破壊を受けた東側28 榴弾砲座の砲側庫内は半分以上土で埋まっており、立入が困難な状況となっている。西側の新）...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E5%A4%96%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%9D%A5%E8%A5%B2%E3%81%AB%E5%82%99%E3%81%88%E3%81%9F%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%82%89%E3%81%AE%E9%81%BA%E6%A7%8B%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E6%88%90%E6%9E%9C-%E3%81%9D%E3%81%AE-6</link><guid isPermaLink="false">6a7d64065814946b5464e463</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究]]></category><pubDate>Sat, 22 Aug 2026 03:53:21 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_31f23b270b1549af9212397958383a06~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る　調査成果　そのⅣ]]></title><description><![CDATA[海外からの脅威　第4波　欧米ロからの圧力に対する防衛　明治編 ５．資料提示　和歌山市周辺 参考文献 角田誠　2009「Ⅲ .　深山地区の砲台・堡塁」『由良要塞跡Ⅰ～大阪湾防禦の近代築城 遺跡～』近代築城遺跡研究会 角田誠　2010「Ⅳ .　加太地区の砲台・堡塁」『由良要塞跡Ⅱ～紀淡海峡の近代築城遺跡～』近代築城遺跡研究会 和歌山県教育委員会　2025　　『和歌山県近代の文化遺産章再調査報告書Ⅰ』和歌山県教育委員会 深山・加太地区軍事施設分布図　　（和歌山県教育委員会　2025） 深山砲台 深山第1砲台 第1砲台は、28cmの榴弾砲で、2門1組の砲座が3組、総レンガ造りで東西に並び、砲座間の連絡は砲座後方のに設けられた隧道によっている。（角田誠　2009） 深山第1砲台　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　和歌山県教育委員会　2025　『和歌山県近代の文化遺産章再調査報告書Ⅰ』和歌山県教育委員会 深山第1砲台　（角田誠　2009） 深山第2砲台 第2砲台は、28cmの榴弾砲で、2門1組の砲座が3組、15cm白砲2門1組の砲座が2組で...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E5%A4%96%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%9D%A5%E8%A5%B2%E3%81%AB%E5%82%99%E3%81%88%E3%81%9F%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%82%89%E3%81%AE%E9%81%BA%E6%A7%8B%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E6%88%90%E6%9E%9C-%E3%81%9D%E3%81%AE-5</link><guid isPermaLink="false">6a7d64a62ca7f56c7181e401</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究]]></category><pubDate>Fri, 21 Aug 2026 09:46:28 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_66001a38cbde4dea90f0800fdd5e6bd4~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[【幕末の海戦】阿波水軍・森甚五兵衛家現当主インタビュー - 「翔凰丸の伝承は、ありません」から始まった一日]]></title><description><![CDATA[【今回の取材概要】 - 日時：2026年8月1日（土） - 場所：ふらんせ 蔵（徳島県徳島市） - 参加者：森様（森甚五兵衛家 現当主）、向井様（阿南市役所 文化財担当係長）、マツ、バタやん、森、ひらぱー --- こんにちは、ひらぱーです。 さて今回は、私たちの調査にとってかなり大きな一日になりました。 阿波水軍・森甚五兵衛家の現当主に、直接お話を伺うことができたのです。 --- ●そもそも「森甚五兵衛」って誰？ STUDIO SOL様ご提供（https://www.bgf.or.jp/bgmanga/viewer.php?id=272&#38;dir=227&#38;lay=single） 森甚五兵衛は、個人の名前ではありません。  阿波水軍を率いた森家の当主が、代々受け継いできた名前（襲名）です。 歌舞伎の「◯代目◯◯」に近いイメージですね。 森家のはじまりは因幡国と言われており、京都で阿波の守護・細川氏と縁ができ、その阿波出兵に従って四国へ渡ってきた家系だと伝わります。 戦国期は鳴門の土佐泊を拠点に、細川氏・三好氏のもとで海を押さえ、蜂須賀家が阿波に入ってからはその家臣となり、椿泊（現在の...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E5%B9%95%E6%9C%AB%E3%81%AE%E6%B5%B7%E6%88%A6-%E9%98%BF%E6%B3%A2%E6%B0%B4%E8%BB%8D-%E6%A3%AE%E7%94%9A%E4%BA%94%E5%85%B5%E8%A1%9B%E5%AE%B6%E7%8F%BE%E5%BD%93%E4%B8%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC-%E7%BF%94%E9%B3%B3%E4%B8%B8%E3%81%AE%E4%BC%9D%E6%89%BF%E3%81%AF-%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93-%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%B8%80%E6%97%A5</link><guid isPermaLink="false">6a715bf2458b8171ef87aa25</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[徳島県]]></category><category><![CDATA[幕末における海戦の研究]]></category><pubDate>Tue, 18 Aug 2026 02:14:32 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/68767f_a52cad38e4224c1794a8f7a16224844a~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>幕末の海戦チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る　調査成果　そのⅢ]]></title><description><![CDATA[海外からの脅威　第3波　欧米ロからの圧力に対する防衛　幕末編 ４．資料提示　大阪府編 梶原台場 梶原台場は1863年に着工市、一時工事の延期を経て、1865年には完成している。 台場は大きく2つの区画で構成され、南側の土塁と堀の規模が大きい。規模は南北200×300ｍに復元される。南の郭は弾薬庫と2ヵ所の虎口があり、北の郭とは直接連絡せず内ヶ池と街道を射程に収める稜堡を備えた。北の郭には西国街道を引き込み番所をもうけた。 梶原台場位置図 梶原台場　明治43年　地図 梶原台場神内炮台図(摂州島上郡万所山塁壁關門 野堡之図) 梶原台場概念図　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　中西裕樹2009　「梶原台場の歴史と構造」『ヒストリア』217 梶原台場神内炮台図(摂州島上郡万所山塁壁關門 野堡之図)　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　高槻市街にぎわい部文化財課　2026　『梶原台場跡発掘調査　現地説明会資料』高槻市街にぎわい部文化財課　 梶原台場発掘地区平面図　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（高槻市街にぎわい...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E5%A4%96%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%9D%A5%E8%A5%B2%E3%81%AB%E5%82%99%E3%81%88%E3%81%9F%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%82%89%E3%81%AE%E9%81%BA%E6%A7%8B%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E6%88%90%E6%9E%9C-%E3%81%9D%E3%81%AE-4</link><guid isPermaLink="false">6a7d6394f1f88bc38bdfcfbd</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[幕末における海戦の研究]]></category><pubDate>Mon, 17 Aug 2026 03:17:08 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_791752391f7c4f4880193b70ac5d65a8~mv2.jpg/v1/fit/w_920,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る　調査成果　そのⅢ]]></title><description><![CDATA[海外からの脅威　第3波　欧米ロからの圧力に対する防衛　幕末編　 ３．資料提示　神戸市・西宮市編 神戸市　 舞子台場 舞子台場は現在の海岸護岸の石垣が築造当時のままのものであり、台場の石垣も良好な状態を保っている。東西７０m、幅６～１０ｍで石垣が巡っている。 上層部には全面に砲門１５ヵ所や背面には出入り口となるアーチ状の門が５～７あったようで、築造当時の高さは海岸から約10ｍあったと推測される。 舞子台場位置図（国土地理院） 舞子台場全景　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（兵庫県教育委員会　2013『兵庫県の台場・砲台』） 舞子台場東端背面石垣　　　　　　　　　　　　　（兵庫県教育委員会　2013『兵庫県の台場・砲台』） 舞子台場平面図　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　神戸市教育委員会　2006　『』舞子砲台跡第1～4次　発掘調査報告書 舞子台場　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「神戸市立中央図書館蔵　『明治初期神戸付近写真帖』」 和田岬砲台 和田岬砲台は勝安房の命により佐藤与之助が設計し、地元の嘉納次郞作が請け負って造られた。1863年に着工し1864年...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E5%A4%96%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%9D%A5%E8%A5%B2%E3%81%AB%E5%82%99%E3%81%88%E3%81%9F%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%82%89%E3%81%AE%E9%81%BA%E6%A7%8B%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E6%88%90%E6%9E%9C-%E3%81%9D%E3%81%AE-%EF%BC%8D%EF%BC%93</link><guid isPermaLink="false">6a77f0ac7e238b0b8ae21a3a</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究]]></category><pubDate>Sun, 09 Aug 2026 16:12:25 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_c3cb9963859148a4b8d5cdfb62aa43ca~mv2.jpg/v1/fit/w_866,h_966,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る　調査成果　そのⅢ]]></title><description><![CDATA[海外からの脅威　第3波　欧米ロからの圧力に対する防衛　幕末編　 ２．資料提示　淡路島編 淡路島　洲本市周辺 矩口台場 矩口台場は東北東に向かって海に面しており、鈍角の凸角部を3ヵ所砲座6個を有する砲台である。砲台部全面は石垣で、現在も民家の裏に当時のものが一部残っている。 参考文献（角田誠　2018　「淡路島における幕末海防築城」『幕末の大阪湾と台場』戎光祥出版） 矩口台場位置図 参考文献（角田誠　2018　「淡路島における幕末海防築城」『幕末の大阪湾と台場』戎光祥出版） 国土地理院航空写真 矩口台場　「洲本御城下町絵図」より　　　　参考文献（角田誠　2018　「淡路島における幕末海防築城」『幕末の大阪湾と台場』戎光祥出版） 高崎台場 高崎台場は南北370ｍ、東西100ｍの規模である。後世の改変により中心部分は失われているが、北端部に残存する火薬庫の石垣と、外周の南部分残存する稜堡式築城砲特有の凸角部のある屈曲した石垣が確認できる。 参考文献（角田誠　2018　「淡路島における幕末海防築城」『幕末の大阪湾と台場』戎光祥出版） 高崎台場位置図...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E5%A4%96%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%9D%A5%E8%A5%B2%E3%81%AB%E5%82%99%E3%81%88%E3%81%9F%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%82%89%E3%81%AE%E9%81%BA%E6%A7%8B%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E6%88%90%E6%9E%9C-%E3%81%9D%E3%81%AE-%EF%BC%8D2</link><guid isPermaLink="false">6a760d392dc76a37da3e78e2</guid><category><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究]]></category><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><pubDate>Sun, 09 Aug 2026 03:14:24 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_ae54f302cc6c4aa49ee8536e23994377~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る　調査成果　そのⅤ]]></title><description><![CDATA[海外からの脅威　第5波　空への防衛　高射砲陣地 ５．高射砲陣地の資料提示Ⅳ　 七松Ⅱ 現地調査報告 現況の航空写真に写り込んでいる高射砲台に青丸で位置を特定し1948年撮影の航空写真を重ねたもの 同じ手法で地図上に七松Ⅱの位置を入れ込んだもの　（番号は下記写真の番号に一致） ①　高射砲砲台　円錐形の基礎（現存）高さ3ｍを超える ①　砲床の突起部 ②　高射砲砲台　円錐形の基礎（現存） 円錐形台座上部　（突起部はライオン像の下に埋め込まれている？） 継ぎ目より上部は戦後に付け足されたもの　その上にライオン像が設置された。 まとめ 阪神間で高射砲台が現存するのは神戸市の1例と尼崎市の七松Ⅱ・八尾市の河川敷のみ　貴重な戦争遺跡の資料といえる。 1942年の航空写真に写っている高射砲陣地もあるが、七松Ⅱは1942年の航空写真では確認できない。『戦史叢書本土防空作戦』中部高射砲集団阪神要地防空配備要図によれば、1944年12月～1945年1月の期間には設置が確認できるものである。 愛知県等で現存する高射砲台との比較も鑑みれば、高射砲台としては新しい部類と推測できる。 ©2026　All...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E5%A4%96%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%9D%A5%E8%A5%B2%E3%81%AB%E5%82%99%E3%81%88%E3%81%9F%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%82%89%E3%81%AE%E9%81%BA%E6%A7%8B%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E6%88%90%E6%9E%9C-%E3%81%9D%E3%81%AE-3</link><guid isPermaLink="false">6a728ee66f3a9867f4d6afc6</guid><category><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究]]></category><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><pubDate>Wed, 05 Aug 2026 01:54:24 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_5195f3e948d8419994bf730232c57b6e~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[【幕末の海戦】セレンディピティ～堤防の成り立ちを調べに日帰りプチ現地調査～]]></title><description><![CDATA[現地人、森です。 最近、Podcastで「水中文化遺産ラジオ」というものを聞くのが、私の中で流行っています。 その中で中田先生が、セレンディピティについて語っておられました。 セレンディピティ 「何かを探しているときに、探していたものとは別の価値があるものを偶然発見すること」 ある宣教師がカンボジアに行ったときに、腰を下ろしたらそこに石像があった。 これが後のアンコールワットである、と。 見つけようと思って見つけてない。そんな中で発見がある。 それがセレンディピティだ。と。 サイエンス分野では、一番有名なのはペニシリンの発見じゃないでしょうか。 宇宙マイクロ波背景放射とか、白川先生のプラスチックとかもそうだろう。 全然、関係ないようなことでも、 深い洞察眼をもって過ごしていれば、 見えないものも見えることもある。 このセレンディピティの事例を胸に抱えて、 バタやんがどうしても「堤防の成り立ちが知りたい！」っていうから、 わざわざ仕事を休んで、 マツさんと二人で調べに行ってきました。 由岐漁港の管理台帳を調査 まず阿波沖海戦の会場となった由岐町の上空写真を見てみましょう。...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/20260709-localwork</link><guid isPermaLink="false">6a58aca335de1d02dd56f41d</guid><category><![CDATA[幕末における海戦の研究]]></category><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><pubDate>Sat, 25 Jul 2026 14:18:14 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/68767f_c21d9a77e76b4349a3c77dc98250beca~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_901,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>幕末の海戦チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[【幕末の海戦】第４回定例MT：チームの「土台」を整えた回]]></title><description><![CDATA[【概要】 ●日時：2026年7月6日（月）21時～22時 ●場所：Google meetによるオンラインMTG ●参加者：ランディ先生、森、マツ、バタやん、スピカ、ひらぱー 今回のテーマは「土台づくり」 こんにちは、ひらぱーです。   さて、今回のMTには「新事実が判明！」といった派手な報告はありません。 事務的な内容ではありますが、議論の場が散らかっていないか・記録がちゃんと残る場所にあるか・書いた記事が滞りなく世に出せるか。 今回はチーム運営や運用に焦点を当てた回でした。 ①ブログについて： ブログの仕様が変わったため、合わせてチームでの運用ルールも変わりました。 【これまで】 市民メンバーが投稿 → 事務局がチェック → 公開 【これから】 記事をチームに共有 → 市民メンバー2名以上＋ランディ先生のOK → 投稿 事務局チェックがなくなった分、私たち市民チーム自身が記事の品質に責任を持つかたちになりました。 一方で、LINEでの共有だと記事が埋もれてしまいかねない。実務的には「レビューしてくれる人がなかなか捕まらず、記事が出せない」というリスクも出てきます。...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E5%B9%95%E6%9C%AB%E3%81%AE%E6%B5%B7%E6%88%A6-%E7%AC%AC%EF%BC%94%E5%9B%9E%E5%AE%9A%E4%BE%8Bmt-%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AE-%E5%9C%9F%E5%8F%B0-%E3%82%92%E6%95%B4%E3%81%88%E3%81%9F%E5%9B%9E</link><guid isPermaLink="false">6a5b065efd4211b61cca7e5a</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[幕末における海戦の研究]]></category><pubDate>Sun, 19 Jul 2026 08:23:36 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/68767f_c6936441003e4a878400f1cf959f51bb~mv2.png/v1/fit/w_550,h_550,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>幕末の海戦チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る　調査成果　そのⅣ]]></title><description><![CDATA[海外からの脅威　第4波　欧米ロからの圧力に対する防衛　明治編 　 ３．資料提示　友ヶ島砲台群 友ヶ島は仮想ながらアニメ「サマータイムレンダ」の舞台として描かれ、砲台群に関連するレンガ建物群が物語の進行の中で登場する。そのため、一部のファンからは聖地として訪れる人たちもいる。 紀淡海峡を防衛する上で最重要と考えられ設置された、和歌山側の深山砲台、加太砲台、淡路島側の生石山砲台、成山砲台、由良砲台、そしてその中間にある友ヶ島砲台で防衛の要とされた。 今回は和歌山市の調査成果から友ヶ島砲台群について記載する。 友ヶ島砲台群位置図　（和歌山市文化振興課　2024「明治時代の友ヶ島砲台」『和歌山市埋蔵文化財発掘調査情報』2024 由良要塞（紀淡海峡側）リスト　（和歌山市文化振興課　2024「明治時代の友ヶ島砲台」『和歌山市埋蔵文化財発掘調査情報』2024 虎島防塁 虎島堡塁は「沖ノ島」の北東部に接する「虎島」の頂部に位置する。 本砲台は2門1組のカノン砲の砲座が南北に2座並び、砲座間および左翼砲座左側に横墻が設けられている。（角田　2009)...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E5%A4%96%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%9D%A5%E8%A5%B2%E3%81%AB%E5%82%99%E3%81%88%E3%81%9F%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%82%89%E3%81%AE%E9%81%BA%E6%A7%8B%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E6%88%90%E6%9E%9C-%E3%81%9D%E3%81%AE-%EF%BC%8D3</link><guid isPermaLink="false">6a5990800ff39938e1cd709f</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究]]></category><pubDate>Fri, 17 Jul 2026 02:42:39 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_2a915a7adf0e462e9d6782f46be0dc99~mv2.png/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る　調査成果　そのⅣ]]></title><description><![CDATA[海外からの脅威　第4波　欧米ロからの圧力に対する防衛　明治編　 ２．資料提示　鳴門方面砲台群見学記 鳴門方面砲台群は、門崎砲台が1897年3月から、続いて笹山砲台と行者嶽砲台が1897年10月から建設が開始されている。 笹山砲台には二十八糎弾砲6門 門﨑砲台　25口径24センチ要塞砲（カノン）2門 　　　　　斯加式9糎速射要塞砲（カノン砲）2門 行者嶽　制式26口径カノン砲（26口径24糎加農砲（24センチカノン砲））　計6門 柿ヶ原堡塁砲台　制式9糎要塞砲（カノン砲）4門、三八式野砲6門、二十八糎弾砲6門 孫崎砲台　口径24センチ榴弾砲9門 これらの内、近年発掘調査によって明らかとなった門崎砲台以外はその全容はあまりわかっていない。 門崎砲台に関する案内看板　（道の駅うずしおに立てられている） 孫崎砲台　通路以外は急峻な崖状態で散策を取りやめ 孫崎先端部分と灯台 海から孫崎を見る 門﨑から孫崎を望む 海から門崎を望む 鳴門方面淡路側砲台分布図 笹山砲台は道路建設等の影響か周囲にそれらしきものは見つけられなかった。 笹山砲台付近現況 残存時の笹山砲台測量図 行者嶽砲台...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E5%A4%96%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%9D%A5%E8%A5%B2%E3%81%AB%E5%82%99%E3%81%88%E3%81%9F%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%82%89%E3%81%AE%E9%81%BA%E6%A7%8B%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E6%88%90%E6%9E%9C-%E3%81%9D%E3%81%AE-2</link><guid isPermaLink="false">6a584525f16fbd619a4c165e</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究]]></category><pubDate>Thu, 16 Jul 2026 04:24:55 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_d6756367421e422d90042de540175896~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[【幕末の海戦チーム】ランディ先生と現地調査part3:日和佐地区散策(最終日編)]]></title><description><![CDATA[森さんから引き継ぎ、続きはバタやんからご報告させて頂きます 現地調査の最終日の朝。 少しバタバタしましたが、なんとか先方様との集合場所:道の駅日和佐にみんな集合しました 阿南のホテルを出た時は晴天だったのに、由岐に向かうトンネルを抜けたら突然の大雨 それからも降ったり止んだりと、不思議な天気です☀️☔️ 雨の中、人数分の置傘を求めて走っていく男子2人。 ありがとうございます〜 でもだいたいこういうのって、傘の準備ができたら雨が上がるんですよね… さて位置関係ですが、翔凰丸(薩摩藩)座礁地点の由岐港から南東に約13km行ったところに日和佐御陣屋跡があります。 Googleマップより 「阿波沖海戦」(泉由幸:著)によると、慶応4年1月4日の夜に、この道を約30人の翔凰丸乗組員が、米田配下(阿波藩)の案内人と共に歩いて御陣屋まで向かったそうです。 御陣屋到着は23時前後とのこと。 20時頃に、由岐を出発したのかなぁ… 当時の道の状況や、薩摩人の健脚具合、早朝の神戸港出港からの疲れ具合などなど。 不確定要素はたくさんありますが、かなりの苦行だったのでは…...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E3%80%90%E5%B9%95%E6%9C%AB%E3%81%AE%E6%B5%B7%E6%88%A6%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%80%91%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E5%85%88%E7%94%9F%E3%81%A8%E7%8F%BE%E5%9C%B0%E8%AA%BF%E6%9F%BBpart3-%E6%97%A5%E5%92%8C%E4%BD%90%E5%9C%B0%E5%8C%BA%E6%95%A3%E7%AD%96-%E6%9C%80%E7%B5%82%E6%97%A5%E7%B7%A8</link><guid isPermaLink="false">6a56df7c72c8fd628da14d0d</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[幕末における海戦の研究]]></category><pubDate>Wed, 15 Jul 2026 01:28:48 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/68767f_16503ec4704b49b1ae486d86647f2dcb~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>幕末の海戦チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る　調査成果　そのⅣ]]></title><description><![CDATA[海外からの脅威　第4波　欧米ロからの圧力に対する防衛　明治編　 １．分布とリスト 明治に至っても更なる武器の進化とともに防衛を強化していった。 淡路門崎　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　淡路ー和歌山 砲台分布図 淡路門崎（由良要塞）砲台分布 淡路ー和歌山　（由良要塞）砲台分布図 明治期砲台リスト 陸軍築城部本部 編　1943「由良要塞築城史」『現代本邦築造史』第２部第４巻　陸軍築城部本部 ©2026　All rights reserved 担当者　Baron]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E5%A4%96%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%9D%A5%E8%A5%B2%E3%81%AB%E5%82%99%E3%81%88%E3%81%9F%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%82%89%E3%81%AE%E9%81%BA%E6%A7%8B%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E6%88%90%E6%9E%9C-%E3%81%9D%E3%81%AE-1</link><guid isPermaLink="false">6a54c28c6a07ced52ab0c101</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究]]></category><pubDate>Mon, 13 Jul 2026 11:03:25 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_373db378a84b41f9b59f989aba4d6dfb~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る　調査成果　そのⅢ]]></title><description><![CDATA[海外からの脅威　第3波　欧米ロからの圧力に対する防衛　幕末編 １．分布とリスト 嘉永７（１８５４）年９月１８日朝、ロシアの使節、エフィーミー・プチャーチン提督が乗るディアナ号が箱館から大阪湾に回航し、和田岬、西宮、尼崎沖を経て天保山沖に投錨した。 これを受けて幕府を含め各藩が砲台を建設することとなる。 しかしながら、和田岬砲台に代表されるようなものから、土嚢を積んだもの、大砲も当時の新式から旧式など様々であった。 大阪湾岸の防衛　幕府並びに各藩によって築かれた台場跡分布図 企画委員会　2009「大阪湾岸の台場跡」　『ヒストリア』第217号　大阪歴史学会 台場跡地名リスト 企画委員会　2009「大阪湾岸の台場跡」　『ヒストリア』第217号　大阪歴史学会 企画委員会　2009「大阪湾岸の台場跡」　『ヒストリア』第217号　大阪歴史学会 企画委員会　2009「大阪湾岸の台場跡」　『ヒストリア』第217号　大阪歴史学会 企画委員会　2009「大阪湾岸の台場跡」　『ヒストリア』第217号　大阪歴史学会 企画委員会　2009「大阪湾岸の台場跡」　『ヒストリア』第217号　大阪歴史学会...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E5%A4%96%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%9D%A5%E8%A5%B2%E3%81%AB%E5%82%99%E3%81%88%E3%81%9F%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%82%89%E3%81%AE%E9%81%BA%E6%A7%8B%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E6%88%90%E6%9E%9C-%E3%81%9D%E3%81%AE</link><guid isPermaLink="false">6a547909f565f87d6c73e879</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究]]></category><pubDate>Mon, 13 Jul 2026 05:35:16 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_c5fa2cbd0c8f4bcda1b42b321e5bafeb~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る　調査成果　そのⅡ]]></title><description><![CDATA[蒙古襲来とそれに伴う防御　海外からの脅威　第2波 元寇防塁 元寇防塁概念位置図 福岡市　2001　『国史跡　元寇防塁（生の松原地区）復元・修理報告書』福岡市教育委員会 蒙古襲来絵詞 騎上で弓を射る大和武士 生の松原の防塁でくつろぐ武士たち 生の松原地区元寇防塁復元・修理 福岡市　2001　『国史跡　元寇防塁（生の松原地区）復元・修理報告書』福岡市教育委員会 元寇防塁断面図　現地案内板より ©2026　All rights reserved 担当者　Baron]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E8%92%99%E5%8F%A4%E8%A5%B2%E6%9D%A5%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%AB%E4%BC%B4%E3%81%86%E9%98%B2%E5%BE%A1</link><guid isPermaLink="false">6a532a3f661479e527e6290a</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究]]></category><pubDate>Sun, 12 Jul 2026 06:16:37 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_7a86de2e177f4f7c8a118f958887dda6~mv2.jpg/v1/fit/w_1000,h_1000,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る　調査成果　そのⅠ]]></title><description><![CDATA[白村江敗北後の防御　海外からの脅威　第1波 新羅との戦いに敗れ、新羅からの侵略の可能性に対応するために様々な施設が築かれた。 日本書紀の記載 六六四年（天智三）筑紫に大堤を築きて水を貯えしむ。名づけて水城（みずき）という。（日本書紀） 六六五年（天智四）八月　達率憶礼福留（おくらいふくる）・達率四比福夫（しひふくぶ）を筑紫国に遣わして大野（おおの）城を築かしむ。（日本書紀） 六六七年（天智六）6月　近江に遷都した 六六七年（天智六）一一月　倭（やまと）国高安城（たかやすのき）を築く。（日本書紀） 六六九年（天智八）八月　天皇高安の嶺に登りまして議（はか）りて城を修めんとす。なお民の疲れたるを恤（めぐ）みたまひて止めて作りたまはず。（日本書紀） 六七九年（天武八）一一月　初めて関を龍田山、大坂山におく。よって難波に羅城（らじょう）を築く。（日本書紀） 七一九年（養老三）一二月　備後（びんご）国安那郡の茨城（うばらき）を停む。（続日本紀） この記載の内、高安城については、八尾市内にあるとされていますが、専門家の間でも確定には至っていないようです。...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E7%99%BD%E6%9D%91%E6%B1%9F%E6%95%97%E5%8C%97%E5%BE%8C%E3%81%AE%E9%98%B2%E5%BE%A1</link><guid isPermaLink="false">6a5317b7c549c55b35b2a23e</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究]]></category><pubDate>Sun, 12 Jul 2026 05:35:50 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_4ce0885aeab74063bfb21fa86d34c685~mv2.jpg/v1/fit/w_424,h_355,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る　調査成果　そのⅤ]]></title><description><![CDATA[海外からの脅威　第5波　空への防衛　高射砲陣地 ４．高射砲陣地資料提示　Ⅲ 大阪府内（大阪市を除く） 枚方市 ⑫　枚方1号　北に向けて半円状に広がる砲座が6基確認できる　砲座の痕跡はいずれも円形 八尾市 ㉜　大正飛行場　南東に向けて弧を描いてに広がる砲座が6基確認できる　砲座の痕跡はいずれも円形 堺市 ㉝　山本　西に向けて半円状に広がる砲座が6基確認できる　砲座の痕跡はいずれも円形 ㉞　石津　北西に向けて半円状に広がる砲座が6基確認できる　砲座は高い位置にあり、コンクリート製の可能性がある。 ㉟・㊱　大泉2号・大泉1号　南に向けて弧を描いてに広がる砲座が6基（大泉2号は4基）確認できる　砲座の痕跡は円形で、いずれも土塁の中に築かれている。 ㊲栄町　中央の四角く囲まれた区域が高射砲陣地跡 ㊳庄内町　ほとんど失われているが、矢印の先に馬蹄形の高射砲砲台の痕跡がみれる。 ©2026　All rights reserved 担当者　Baron 　転載不可]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/_%E7%A0%B2%E5%BA%A7%E8%A9%B3%E7%B4%B0</link><guid isPermaLink="false">6a527b41c549c55b35b16971</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究]]></category><pubDate>Sat, 11 Jul 2026 17:24:03 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_c13ab23c9dd04b81a92d67cdafc69558~mv2.jpg/v1/fit/w_964,h_952,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item><item><title><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究─それらの遺構を探る　調査成果　そのⅤ]]></title><description><![CDATA[海外からの脅威　第5波　空への防衛　高射砲陣地 ３．高射砲陣地資料提示　Ⅱ 大阪市内編 ⑬   国次　北に向けて半円状に広がる砲座が6基確認できる　砲座の痕跡はいずれも円形 ⑭   守口　　北東に向けて半円状に広がる砲座が6基確認できる　砲座の痕跡はいずれも円形？ ⑮    野里1号　　南に向けて半円状に広がる砲座が6基確認できる　砲座の痕跡はいずれも円形 ⑲    鶴見　西に向けてハの字に広がる砲座が6基以上確認できる　砲座の痕跡はいずれも円形 ⑳    永田2号　西に向けて半円状に広がる砲座が4基確認できる　砲座の痕跡はいずれも円形 ㉑　永田1号南北に並ぶ砲座が4基以上確認できる　砲座の痕跡はいずれも円形 ㉒　櫻島1号　左右に土塁を持つ楕円形の砲座が2基以上確認できる ㉓　櫻島2号　ケルト十字のような形の砲座が6基円形に配置されている。 ㉔　櫻島3号　大阪市が1942年に撮影した航空写真によって確認できたもの。西向きに弧を描くように4基配置されている。 ㉕　福﨑2号　南に向けて半円状に広がる砲座が6基確認できる　砲座の痕跡はいずれも円形...]]></description><link>https://www.ckuh-kobe.com/post/%E9%AB%98%E5%B0%84%E7%A0%B2%E9%99%A3%E5%9C%B0</link><guid isPermaLink="false">6a51df46661479e527e38c66</guid><category><![CDATA[市民参加プロジェクト]]></category><category><![CDATA[外からの来襲に備えた軍事施設の研究]]></category><pubDate>Sat, 11 Jul 2026 06:29:41 GMT</pubDate><enclosure url="https://static.wixstatic.com/media/98c836_c13ab23c9dd04b81a92d67cdafc69558~mv2.jpg/v1/fit/w_964,h_952,al_c,q_80/file.png" length="0" type="image/png"/><dc:creator>軍事施設チーム</dc:creator></item></channel></rss>